聖書のことばに聴く
そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」旧約聖書・創世記3章8、9節
何か足りない、という思いに捕らわれることがあるでしょうか。自分など価値がないという〝恥〟の感情の問題を、ケン・シゲマツ氏の新著『もう、自分を隠さない|恥を癒やす大いなる恵み』が指摘しています。
連載 聖書は知恵の宝庫
第17回 置かれた場を喜ぶ
立川福音自由教会牧師 高橋秀典
私たちは人生の中で大きな決断を迫られることがあります。その中でも、就職とか結婚に関して、決断を誤ったと後悔する人が多くいます。私の場合は就職先の選択でした。
連載 物語とキリスト教 深掘り・世界の名作文学
Vol.5 「野火」
小松原宏子(児童文学作家・翻訳家)
舞台は終戦間近のレイテ島。「私」田村一等兵は肺病を患い、野戦病院に送られます。けれども、敗戦の色濃い南の島で、病院は薬も医療用具も食糧も不足していました。「私」は入院を断られ、病院の外で知り合った安田、永松とともに死を待つことになります。しかし、病院は米軍の爆撃を受け、逃げ延びた「私」は山の中をひとりさまよいます。
連載 北欧のテーブル
その17 「テーマ野菜」に選ばれビーツ人気
ヨシムラ・パイヴィ(日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会宣教師)
毎年フィンランドでは「今年のテーマになる野菜」を選んで、その野菜をもっと食べるようにキャンペーンをします。選ばれた野菜の料理のレシピや、健康に役立つことなどが雑誌にも載ります。
連載 中動態? 心に寄りそう聖書のメッセージ
5.「弱さ」は誇れるのか?
中村穣(飯能の山キリスト教会牧師)
私は左手に障害を持って生まれました。小さい時、母から「ごめんなさい」と泣かれたことがあります。その時私は、「自分は“ごめんなさい”と言われるような存在なんだ」と思ってしまい、人よりも劣っていると感じました。それなので努力しないと認めてもらえないと考え、みんなが楽しそうに遊んでいる昼休みに、一人で泣きながら鉄棒の練習をしていました。母を恨んだりしたことはなかったのですが、自分の思いをどう表したらいいのかわからず、戸惑いを持って生きてきました。
ひとそのあしあと
神と金沢を愛したひと、それを語るひと
高山右近記念資料館「ギャラリー・ジュスト」館長
〝キリシタン大名〟として知られる高山右近。十二歳で洗礼を受けてから六十三歳で死没するまでのうち半分にあたる、二十六年間のキリシタン人生を、前田利家に付き加賀藩は金沢で生きた。あまり知られていないその頃の足跡を、語り継いでいる人がいる。