クリスチャン新聞創刊50周年おめでとうございます。戦後日本のキリスト教会に対する情報発信紙として、諸教会の健全な成長と交わりのためにクリスチャン新聞が長年にわたり貢献されたことは、誰もが認めるところだと思います。
様々なムーブメントが来ては去る中で、情報の確かさと健全さを絶えず精査し、提供すべき情報を種々選択することは、時に勇気のいることであったと思います。50年の歳月の中で今日の信頼を勝ち得て来られたことは、これまで新聞発行に携わって来られた方々の主に在る祈りと努力の結晶であると思います。
さて、提言に関することですが、これまでも追求して来られた事柄であり新しいことではありませんが、新聞発行に携わる事業者として、一般的に以下の4つのことが引き続き求められていると思います。
①クリスチャンメディアとしての職業モラルに立ち、客観的、公正的報道に徹する。②メディアに携わる者としての責任感を持ち、調査をきちんと行い、事実関係を追求する。③クリスチャンとして自身の信仰および一般的知識を深めて整理し、記者としての技能を強化する努力をする。④題材を発掘し、ストーリーをまとめ、報道を面白くする。
以上の①~③までは、誰もが異論のないところだと思います。
④については、今の時代にあって努力せざるを得ないのですが、実は大きな危険をはらんでいて、細心の注意を払うべき事柄だと思います。メディア媒体の変革と進歩の著しい現代社会にあって、多くの新聞社が従来の紙媒体からの変革を求められ、生存をかけた大きな岐路に立っているからです。
クリスチャン新聞においても、電子版などでの対応を余儀なくされています。若者の新聞離れが進み、10代、20代、30代の若い世代は、新聞をほとんど読まなくなり、情報を得る手段としてインターネットを利用している傾向が浮かび上がっています。
そのような中で、クリスチャンメディアが「客観報道と建徳」という原則から逸脱し、営利を目的に「受けが良い」面白い報道を志向する傾向が強まることが、危惧すべきことだと考えます。メディアが単に「受けが良い」面白い報道を目指すようになると、様々な過ちを犯し得るのではないかと心配します。
本来の使命を忘れ、「受けの良さ」面白さを追求するようになれば、センセーショナリズム(扇情主義)、ポピュリズム(大衆迎合主義)、ステレオタイプ(固定化したイメージ)のわなが待っています。
