映画「ファイター、北からの挑戦者」ーー脱北者女性がボクサーに転身、偏見や差別と闘い再出発
今年の10月23日、北朝鮮の人権状況を調査している国連の特別報告者が、新型コロナ禍で国境封鎖対策をとっている北朝鮮国内の物資不足で、国民の一部が飢餓に陥るおそれがあると警鐘し支援対策の必要を世界に呼びかけた。1990年代半ばより大飢饉や共産国家設立者として神格化されてきた金日成の死去による国内の混乱状態などで悲惨な情況に耐えられず、続出する北朝鮮越境者たちを韓国は手厚い支援政策で保護してきた。そうした脱北者は、2020年末で累計3万3000人に達する。一人の脱北女性をとおして、長年の支援政策で定着してきた脱北者への存在と情況に無関心さや偏見・差別が顕在化するなかで前向きに生きようとする再起への闘魂にエールを送りたくなる。
脱北したが父親はまだ中国に…
物語の主人公はリ・ジナ(イム・ソンミ)。中国を経て韓国に逃れてきた脱北女性。政府支援の北朝鮮離脱住民定着支援事務所で3か月間の基礎的な生活適応訓練を終え、賃貸補助を受けてアパートに入居した。いっしょに越境した父親は、まだ中国に潜んでいる。早く韓国へ入国させるためにも働いて資金を稼ぎたい。世話になっている脱北ブローカーの男ビョリ(イ・ムンビ)の伝手で就いた仕事は食堂の手伝い。だが長時間労働で給与は低い。ビョリに、掛け持ちができる仕事を依頼し、ボクシングジムの清掃と用具整理に就いた。館長のコーチ(オ・グァンロク)とトレーナーのテス(パク・ソビン)二人で切り盛りしている。
朝から夜遅くまで働き詰めのジナ。アパートを斡旋した不動産屋の男が、少し酔った様子でジナのアパートのドアで待っていた。夜遅く食事に誘い、断ると後ろから抱きつき、軍人上がりのジナの一撃で顎と頸椎をケガした。数日後、男は治療の請求書をジナに見せて支払えと言う。支払わなければ脱北者に障害を受けたと警察に届け、言いふらすという卑劣さ。ジムの館長とテスは、軍人上がりだがジナにボクシングセンスをみてファイトマネーがでるセミプロ大会への出場を勧めていた。その誘いに乗り、二人から訓練を受けるジナ。館長はジムで一目置かれているユンソ(キム・ユンソ)を差し置いてジナを出場させ続ける。ユンソの妬みを買いながらも、どうにか勝ち進み周囲から注目され、嫌味な不動産業の男にも借金を突き返す。だがある日、ビョリから中国の公安に父親が捕まったと聞かされる。公安は裏金で釈放するらしい。ジナは、父親を取り戻すためプロへの転身を決断する…。
ルールの中での闘う心を励ます
愛がテーマのヒューマンドラマ
ハングリースポーツの代表格ボクシングを柱にしているが、いわゆるサクセスストーリーではない。ジナを通して脱北者の韓国での情況が見えてくる物語。更には自分と父親を見捨てて先に脱北した実母(イ・スンミョン)が、韓国で再婚し義理の妹に当たる一人娘を授かり裕福な生活をしている。ジナは、実母の現状を見て激しい感情を顕わにするが、中国や支援政策も整っていない時代に脱北した女性が、一人で生きていく苦労には理解は及ばない。母娘の確執は、脱北者問題の複雑さを考えさせ、この物語のもう一つの柱にもなっている。
ユン・ジュホ監督は、本作のタイトル「Fighter」について「文字通りの意味で、ジナの波乱万丈の人生と、あきらめないことから生まれる尊厳を表現している。彼女の闘いは、世界に対する闘いであると同時に、自分自身に対する闘いでもあるのです。」と、あるインタビューに答えている。脱北して韓国に来たが、無視や偏見・差別はここにも在ってくじけそうになる人生。それでもジムの館長やテスの応援を受けて立ち向かい、人生を再起しようと前を向くジナ。キャッチコピーにもなったジナの言葉「私の闘いはまだ終わっていない。私は闘い続ける、最後まで。転んでも再び立ち上がる」は、日本にいても身近に格差からの生活の苦しさや増加するヤングケアラーなど、自助責任を押し付けられている人たちの存在にも関心をもつよう気づかされる。立ち上がろうとするジナに、応援する者が起こされていたように。【遠山清一】
監督・脚本:ユン・ジュホ 2020年/104分/韓国/韓国語/映倫:G/原題:파이터 英題:Fighter 2021年11月12日[金]よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開。
公式サイト http://fighter-movie.com
公式Twitter https://twitter.com/albatrosasia
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*AWARD*
2020年:第25回釜山国際映画祭主演女優賞(イム・ソンミ)・NETPAC賞受賞。チュサン大賞映画祭新人女優賞ノミネート。 2021年:第71回ベルリン国際映画祭ジェネレーションコンペティション部門正式出品作品。