ベッテルハイム家族が那覇に上陸したのは1846年5月1日だった。それから180年である。しかし、彼も彼の琉球伝道も、そして近代日本のキリスト教史が琉球から始まったことも沖縄の教会史も、十分に評価されているとは言えない。
パリ外国宣教会宣教師フォルカードは、フランス軍艦で44年に琉球に来て2年滞在した。そこに英国海軍琉球伝道会の宣教医ベッテルハイムがやって来る。

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中国がアヘン戦争(40~42年)に敗れ、時代が大きく動き出していた。琉球王国は1609年以降、薩摩の支配下にあったが、中国の冊封体制(名目的君臣関係)をも維持していた。ヘボンやブラウン、C・M・ウィリアムズらの宣教師が日米修好通商条約を足掛かりに来日し、居留地で日本語習得や聖書翻訳、医療などの準備作業を始めたのは59年。ベッテルハイムはそれより13年も前に来琉し、5年3か月にわたり直接的な伝道をしていたのだ。
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