【書評】根本的な変革は、戦略ではもたらされない 『牧会者パウロ』評 鈴木茂

 世界中のあらゆる分野において、人間の脆(もろ)さが露呈されてきている。キリスト教の世界も例外ではない。ティモシー・ゴンビスは、パウロを根底から造り変えた生ける真理を、彼の書簡から真摯に探求し、「力は弱さのうちに」を執筆した。


 パウロに劇的な方向転換をもたらした現実とは何だったのか。パウロは熱心に神に仕えていると確信していたのだが、現実には破壊をもたらしていた。彼は、アダムの背信以来全宇宙を奴隷状態にしてきた「宇宙的敵対勢力」(128頁)によって動かされていたのだ。現代もこの負の力は、共同体の関係性などに秩序の乱れをもたらしていると、ゴンビスは自身の経験を踏まえて正直に語っている。共同体において「この世の知恵」をより所としたり(128頁)、また自己顕示欲を満たそうとしたりすることなども、本来の神の救いと対立する在り方だとゴンビスは示す。


 この負の現実が働く「今の邪悪な時代」において、パウロが人としてまた牧会者として変革を体験したように、私たちも変えられる可能性はあるのだろうか。「然(しか)り」である。
 パウロを根本的に造り変えた恵みは、今も変わらぬ救いの土台である。それは、キリストの十字架上での死だ。十字架は、救いの入り口にすぎないように受け取られがちであるが、本質的にはクリスチャンの「あり方」そのものだ。根本的な変革とは、戦略によってもたらされるものでは決してなく、教会が、主の十字架の姿(かたち)に与(あずか)ることによって、また近づこうと生きることによってはじめてもたらされる。人間は、罪の影響ゆえに「肉の力」によって神の働きを拡大しようする。しかし神の知恵は、逆説的ではあるが「弱さ」を通してわざを広げる。それは、宣教は人間の知恵ではなく、神の知恵によるものだからだ。


 神は、イエスの十字架の姿に自ら選んで生きるものたちに、すべてを刷新するキリストの復活のいのちを注ぐ。十字架の姿に生きることが最も安全である、とゴンビスが言明する根拠は、その姿にとどまる者たちにこそ、復活したキリストのいのちが体現されるからなのである。


 ゴンビスはある時、悪意を抱いていた同労者に対して、自分の中に破壊的な力が働いていることに気づいたのだが、そのとき彼は、相手を攻撃しようとするあらゆる手立てを放棄し、イエスの十字架の姿に近づき、その姿に与ることによって、今度は復活の力が自らの内に働くのを体験した。そして、そこから新しい関係が芽生えることを知ることができたことを証ししている。


 本書は、あらためてクリスチャンとしてどうあるべきなのか、どう生きるべきなのか、という本質を問うている。
(評・鈴木茂=保守バプテスト同盟仙台聖書バプテスト教会牧師)

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