
寄稿・鈴木茂(保守バプテスト同盟仙台聖書バプテスト教会牧師、『情緒的に健康な教会』シリーズ[ピーター・スキャゼロ著]訳者 ※こちら書評も参照→【書評】根本的な変革は、戦略ではもたらされない 『力は弱さのうちに牧会者パウロ』評 鈴木茂)
クリスチャンだからと言って安心し切って良いのだろうか。聖書や神学的知識があるからと言って、神の栄誉や人の心を深く傷つけてしまうような罪から自分は守られると安堵(あんど)できるだろうか。決してそうではない。著名なリーダーたちが、信頼を大きく損なわせる罪に陥るのをよく耳にしないだろうか。
成功しているように見えていても、内側の腐敗や堕落が明るみにでて、取り返しがつかないような痛みを人々に与えてしまう。私たちの内側と外側は必ずしも一致しているとは限らない。聖さとは「分割されていない心」である。誰も入れない「秘密の部屋」がないことである。神の光を避けない心とも言える。神は、心の全域に聖なる光を照らし、真の回復をもたらされる。キリストの死と復活の目的は、このためであった。
勇士ダビデは、外の敵に対しては勇敢で多くの勝利を治めたが、心の陰に潜む罪に対しては無防備であった・・・
(次ページ[下部ボタンから]で、罪、心の管理、孤独、などについて)
【特典付キャンペーン中 記事すべてを閲覧可能、充実した定期購読がお得です】
新規で紙版、電子版、併読版いずれかの年間購読をお申込みの方にもれなく
話題の書
『平和へのはじめの一歩』(朝岡勝著/いのちのことば社刊)を進呈! 詳しくはこちら
