映画「月」――心の無い存在者は無駄… 心に潜む排除思想を抉られる衝撃作
2016年7月26日に起きた、重度重複障害者など深夜に19人が殺害された津久井やまゆり園での大量殺人事件をモチーフして書かれた辺見庸の小説『月』の映画化。
言葉を発することや他者とコミュニケーションを持てないなど一部の障害者の中には、障害者施設で長く隔離状態に置かれたり、入所者への虐待行為が隠蔽さていたことが明るみになることがある。本作の主人公は、真摯に向き合おうとしていた重度重複障害者に対して、やがて、社会にとって存在価値のない無用な存在をして極端な排除思想へ傾いていく。そのような、「人間には、生きるに値する存在と値しない存在がある」という考え方は間違いとされているが、実際は人権、反差別思想、平等などの前提が破綻している現実を、倫理的な規範を語ることで直視することを避けているのではないか、と観る者に激しく問いかけてくる。
知られざる重度障害者施設の日常
鬱蒼とした森の奥にある重度障害者施設「三日月園」。かつては名の売れた作家だったが、今は小説を書けなくなっている堂島洋子(宮沢りえ)は、この施設で臨時職員として働くことになった。夫の昌平(オダギリジョー)は非正規雇用の仕事にしか就けないドールムービー作家。二人には心臓疾患を持って生まれたひとり息子を3歳で亡くし、まだ重い喪失感のなかにいる。
就業初日、洋子に小説家志望の坪内陽子(二階堂ふみ)が親しく声をかけてきた。大学を卒業し、小説の題材が在るのではと職員になったという。だが、実家の両親はクリスチャンだが、父親(鶴見慎吾)の度重なる不倫を知りながら、気づかぬふりをしている母親(原日出子)。二人の関係に偽善的な憤りを感じている。絵が上手で、手作りの紙芝居を作り入所者たちのレクリエーションで披露するさとくん(磯村勇斗)も明るい態度で洋子に親しく話しかけてくる。だが、さとくんが入所者たちと真摯に向き合おうとする行動は、余計な仕事が増えるだけで何にもならないと考える同僚職員たちからは疎まれている。
洋子が、施設で出会えたもう一人は、入所者の“きーちゃん”。少しだけ開かれたカーテンの隙間から指す陽ざしだけが部屋の灯り。ベッドに寝たきりで、しゃべることも身体を動かして反応を示すこともできない“きーちゃん”だが、洋子は生年月日が同じというだけでなぜか“きーちゃん”には親しみを持てた。一方で、施錠された部屋から叫び声が聞こえ、入居者を手荒く扱う職員たちを目の当たりにする。懐中電灯の明かりをかざして入所者にてんかんを引き起こそうとする職員の虐待的な行為に憤る洋子。だが、園長は洋子の訴えに対応することはない。
さとくんの極端な排除思想に
激しく反論する洋子だが…
洋子は、妊娠した。友人の産婦人科医(板谷由夏)によると5週目という。重篤な病を持って生まれて夭折した長男と同じように病や障害をもって生まれるのではないかと恐れる洋子。早期NIPT(新型出生前診断)をせずに産むか、流産させるかと悩む。そんなある日、さとくんが「しゃべれない、心がない障害者は無駄なんです」と言い出す。洋子は激しく反論するが、さとくんは洋子の妊娠に気づいていて、「障害者の子は欲しくないでしょ」と心の奥底を抉り出そうとする。答えの出ない議論に疲れて帰宅した洋子は、「心の中に隠されている言葉を書こうと思う。障害のこと、亡くした子どものこと…」と昌平に執筆する決心を話す。受け入れて応援する昌平。そして、さとくんも自分の確信に従って行動する…。
この物語の終わり、洋子は昌平から海外の短編映画祭で受賞したと知らされ、ささやかな食事会に誘われる。昌平の喜びを自分のことのように喜ぶ洋子は「生きていてよかった」と感激を分かち合う。それは、昌平にだけ向けられた素直な一言なのだろうか。きーちゃんの部屋の壁にに手作りの絵本から切り取った三日月を飾り付けたさと君や、一部声を発することのできない重度重複害者への対応を無自覚に隠蔽する人たちへ、私は「生きている」と発するひと言のようにも聴こえてくる。
本編の冒頭、旧約聖書の一節が表示される。「かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。 太陽の下、新しいものは何ひとつない。」(コヘレトの言葉1:9 新共同訳)。さとくんを極端な排除思想の持ち主として断罪するだけでは済まない。彼が変容していく過程のストーリー展開は、心の奥底を刺激された洋子のように、コヘレトの言葉の一節は観る者にも迫ってくる。【遠山清一】
監督:石井裕也 2023年/144分/日本/映倫:PG-12/ 配給:スターサンズ 2023年10月13日[金]より新宿バルト9、ユーロスペースほか全国公開。
公式サイト https://www.tsuki-cinema.com/
公式Twitter https://twitter.com/tsuki_movie
*AWARD*
2023年:第28回釜山国際映画祭コンペティション部門出品。