ともにイスラム教国でありながらスンニ派のサウジアラビアとシーア派のイランは長年、対立してきた。その両国が3月10日、中国の仲介で国交再開に合意したとのニュースは世界を驚かせたが、イスラム以外の宗教施設を認めてこなかったサウジアラビアに、初めてキリスト教会ができる可能性もある。今年1月には正教会の東方クリスマス典礼を公式に認めるなど、サウジアラビアの近年の変化を、本紙提携の米福音派誌クリスチャニティトゥデイ(3月29日付)が報じた。その概要を伝える=全文はWEB版に掲載=。

サウジアラビアはコプト教徒のクリスマスを受け入れた。教会設置も受け入れるのか?

サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が2018年3月5日エジプトのカイロでコプト正教会の教皇タワドロス2世と会見した(Image: Markas Ishak/The Coptic Orthodox Press Office/Anadolu Agency/Gettty Images)

 

サウジアラビアは最近もう一つの宗教的正常化、キリスト教信仰の開放に向けて踏み出している。エジプトのコプト正教会のマルコス主教は、「9年前、私は『祈ってよい。それを公にしてはならない』と言われた。今回はサウジアラビアが自ら公にしている」と語る。1月7日、マルコス氏は1か月にわたる司牧訪問の皮切りに、サウジに住む3千人のコプト教徒たちの中で東方クリスマス典礼を祝った。エジプト大使館の仲介でリヤド、ジッダ、ダンマーム、コバール、ダーランでも「当局の全面的な後援のもとで行われた」。
メッカとメディナの巡礼地を擁するイスラム国家が認めた初めての公的なクリスマス祝典である。
イスラム教の伝統ではムハンマドがアラビアに二つの宗教が存在することを禁じたとされるが、これはキリスト教の礼拝が許可された最初の旅ではない。マルコス氏は2012年、当局とエジプト人キリスト教徒出稼ぎ労働者の紛争解決に派遣され、サウジアラビア訪問を祈り始めた。約5万人のコプト教徒が同国にいると推定されている。
礼拝する教会を持つ者はいない。オープン・ドアーズのワールド・ウォッチ・リストでは、今日キリスト教徒であることが最も困難な50か国のうち、サウジアラビアは13位。コプト教の聖職者は、以前は隣国バーレーンで信者に会っていた。
しかし、14年にマルコス氏が再訪した際には、約4千人の信者のために典礼を実施した。数週間の司牧旅行は毎年続き、16年にはサウジのサルマン・ビン・アブデル・アジズ国王がエジプトのコプト教皇タワドロス2世を訪問した。
さらなる開放につながったのは18年。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が3月にカイロのコプト正教会大聖堂を訪れ、善き羊飼いイエスのイコン前でタワドロス教皇と記念写真を撮った。そしてコプト教皇をサウジアラビアに招き、マルコス氏の訪問継続を促した。同年12月、最初の典礼が正式に報告された。
以前は無許可の礼拝を行ったとしてキリスト教徒の逮捕が相次いだが、16年ムハンマド皇太子は宗教警察の力を抑制し、18年にはジョエル・ローゼンバーグ氏率いる福音派の代表団を迎え入れ、教会建設の可能性について話し合った。首都リヤドの外交地区か、北西部の砂漠にあるメガシティ計画「ネオム」かと憶測されている。計画の資料には国際法の下での宗教の混在が語られている。
19年、サウジアラビアはこの地域をキリスト教徒の観光に開放した。古代ミディアンといわれる地で、モーセが杖を打つと水が出たホレブの奇跡に似た岩の割れ目がある。ツアーを実施した巡回伝道者は、常に「格別の温かさと優しさ」で迎えられたという。聖書の朗読や讃美歌の歌唱も普通に行うことができた。
イスラムで背教は正式には死刑だが、神学的な対話は歓迎される。マルコス氏がサウジアラビアが後援するムスリム世界連盟(MWL)の事務局長ムハンマド・アル・イッサ氏と共にクリスマスに訪問した際もそうだった。「私たちはイエスの十字架刑と復活について論じた。彼は微笑んでいました」。十字架を首にかけ手に十字架を持つ典型的な黒いローブ姿のマルコス氏は、路上で市民と写真を撮った。そしてこの年、クリスマスツリーやサンタ帽がショッピングモールで販売された。
19年、サウジアラビアは139か国から千200人の学者を招き、国際的な宗教の自由に関する30項目の
「メッカ宣言」に署名した。
第21項は世界の指導者が差別を避けることを、第22項は各国政府が礼拝所と少数派の権利を保護することを約束する。
昨年5月、リヤドで開かれたMWL主催の宗教間会合には、バチカン国務長官、正教会のエキュメニカル総主教、世界福音同盟(WEA)総主事、15人の著名なラビ、米国の国際宗教自由担当特命大使が参加した。彼らは、すべての国が礼拝所への自由な参加を確保するよう勧告した。全米福音同盟も招待され全代表の約半数がプロテスタント信者だった。WEAのトーマス・シルマッハ総主事は、この地域のすべての戦争はキリスト教徒にとって「悪夢」であったと指摘した。平和と正義は中東のイスラム教徒とユダヤ教徒にとっても同様に必要なものである。
サウジ王国は5年前、イスラム黎明(れいめい)期にユダヤ人が最後に住んだ街メディナに非イスラム教徒が入ることを許可した。西暦622年ムハンマドがアブラハムの宗教の共存を確立した地だ。メッカは閉鎖されたままだが湾岸は段階的に開放されている。アラブ首長国連邦が主導した2016年のマラケシュ宣言は原初の「メディナ憲章」の世界的復活を目指し、1年後のバーレーン宣言では宗教の選択の自由をうたった。両国はアブラハム協定でイスラエルと関係を正常化しており、次はサウジアラビアではないかと目されている。
シルマッハ氏は、サウジアラビアにいる50万人の福音派にとってさらなる朗報を期待している。「彼らは中東最大の教会であるコプト教徒から始めたが、カトリックやプロテスタントにも同様の動きがあることを確信させるものだ」と。

2023年04月16日号 08面掲載記事)