9月15日号1面:追悼は悔い改めと検証のため 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者追悼祈祷会
1923年9月1日の関東大震災時、流言飛語により朝鮮人・中国人虐殺が引きこされた悲劇を心に刻み追悼する集会が、今年も各地で開かれた。
9月1日には、「NCC(日本キリスト教協議会)東アジアの和解と平和委員会」の呼びかけにより、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者101年キリスト者追悼祈祷会」が行われた。日本キリスト教会・柏木教会(東京・新宿区)の会場とオンライン合わせて約130人が参加。13の賛同団体が「共同の祈り」をささげ、参加者一同名義の声明文も発表された。前NCC総幹事で、日韓和解と平和プラットフォーム日本運営委員会書記の金性済(キム・ソンジェ)氏=写真=が、ルカ24章から説教した。以下は説教要旨。
以前、虐殺の証言集をもとにした演劇を見た。現代の人々が現場を巡りフィールドワークを行う、という淡々とした内容だが、最後に突然、武装した集団が登場し、「朝鮮人かどうか取り調べる」と一行を拘束する。そのうちの一人が「私は日本人です!」と叫んで劇は終わった。私は思わず客席で非常口を探し、終演後のディスカッションの時間にも震えが止まらなかった。
歴史を学ぶ善良な市民の中にも、自分への脅威から逃れようとする性質は共存すること。思想や信仰を持っていても、時に無力にされてしまうこと。そして、「自分は朝鮮人とは違い、保護されてしかるべき日本人だ」というアイデンティティーが存在していることが、このせりふから読み取れる。
虐殺は震災で始ま ったのではない。日本の植民地支配に抵抗する人への「討伐」が公然と行われ、それが発災後の大虐殺につながった。それを政府は勅令で拡大させ、しかし数日後、「日鮮同化の根本主義に反する」との告諭で、自らの立場を鎮圧する側にすり替えた。植民地支配の目的であった朝鮮民族の同化政策はむしろ、敵意、差別、恐怖、疑心暗鬼を社会に植え付けていた。日本の人間観に潜む矛盾を余すところなく集約しているのが、このジェノサイドだ。
重く深い闇が人と社会を縛り、その力は「私は加担していない」と弁明させる。少数が権威と武器を持ち、多数は目を背け沈黙することによ って虐殺を許す、この共犯関係を見つめ直さねばならない。
駆け込み寺にかくまわれていた、あめ売りの具学永(ク・ハギョン)の例もある。その時教会は何をしていたか。隣人としての他民族をどう理解してきたか。日本のキリスト者としてどう歩んできたか。
この追悼は「歴史と記憶のグラウンド ・ゼロ」だ。主の前に悔い改め、福音信仰と神学の中身はどうであったか、〝震源地〟に立ち返り検証するための、霊的な時間と空間である。
私たちは、自分の身に命の危険が迫ればイエスを否認したペテロと同じ、罪と弱さの中にいる。カヤパの官邸の前でペテロを振り返られたイエスの眼差しが自分にも向けられていることを、黙想するよう促されている。
主は、当時と地続きの今日を生きる私たちに問いかける。疑心暗鬼の時代にキリスト者は誰とコイノニアを分かち合うか。升の下でなく丘の上に明かりをともし、暴虐を止めるためのディアコニアを担うか。歓待と友愛の防波堤を築く宣教を担うか。主の十字架は問いかける。
弟子たちが鍵をかけ閉じこもっていた部屋に来てくださったイエスを、私たちも待ち望む。弟子たちの目に隠されていた十字架の意味が解き明かされた瞬間が、エマオへの途上だった。今日私たちの目の前でパンを裂き、気づきに導いてくださるイエスに目を向け、担うべき歓待と友愛の宣教へ導かれる者になりましょう。
賛同団体の代表者による「共同の祈り」
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