イスラエルで死海文書級の発見? パレスチナ人収容刑務所からモザイク画
遺物が示す初期キリスト教徒の信仰と実践
イスラエル北部の古代都市で発掘された3世紀の教会の遺跡から、床のモザイク画、聖餐台と考えられる石の食卓が発見された。そこからは、当時のキリスト教徒が、確かに受肉を信じ、イエスを神であると認めていたことがわかる。発掘から20年の時を経て公開された古代遺物を、本紙提携の米誌クリスチャニティ・トゥデイが報じている。
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受肉を信じ、聖餐を守る
2004年、1枚の教会の床が、イスラエルの古代都市メギドで発見された。場所は、聖地で最も有名な遺跡の一つ、テル・メギドから数キロ離れた刑務所内である。
「実際、それは壁のすぐ内側にあったのです」と聖書博物館(米国ワシントンDC)の元学芸部長ジェフリー・クロハ氏は語った。
考古学調査は通常の場合でも十分困難なものである。しかし、この発掘が行われたメギド刑務所は、安全保障上の脅威とみなされているパレスチナ人千人以上を収容するとともに、イスラエルでは以前から物議を醸していた場所である。そのことが事態をさらに複雑化した。
しかし2024年、イスラエル考古学庁(IAA)はついに54平方メートルのモザイクを発掘し、保存し、聖書博物館に提供した。こうして、ワシントンDCの地で、特別展示として初めて一般公開されることになったのである。
IAAの専門家らはモザイクを10の断片に切り分け、梱包してアメリカに発送し、聖書博物館で再び組み合わせられた。
聖書博物館はこのモザイクを、「死海文書以来の最も画期的な考古学的発見の一つ」と強調している。
ジョージ・ワシントン大学教授で、聖書と近東の言語と文明を研究する、クリストファー・ロールストン氏は、この展示は「驚くべきもの」だと言う。
ロールストン氏は古代碑文の専門家であり、大胆な考古学的主張に対しては疑問や懸念を表明する、懐疑的な意見の持ち主として国際的に知られている。しかし、彼はこのメギドのモザイクの重要性に関しては、躊躇なく支持している。
「私が見る限り、ここで文句を言うことは何もありません」とロールストン氏は語った。
イスラエルの考古学者によると、この教会の床は西暦230年頃に作られたとのこと。発掘中に見つかった硬貨やモザイクの様式、現場で発見された陶器の種類に基づいて、正確な年代を特定することができた。
これは、現在までに知られている最も古い教会建築の一つであり、礼拝の目的のために特別に建設された最初のものである。4世紀に入り、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した後、教会は地中海全域に急増し始めた。それ以前の教会は、考古学者によって三つしか発見されていない。カペナウムの家の教会、シリア東部の家の教会、そしてメギドのこの建物である。
モザイクの床は、ガイアヌスという名のローマ兵士のために作られたようだ。完全な保存状態で現れた碑文には、「我らの兄弟、百人隊長ポルフィリウスとも呼ばれるガイアヌスは、寛大な行為として自費でモザイクを制作した。作業はブルティウスが行った」と書かれている。
ガイアヌスは、以前は歴史家に知られてはいなかったが、この発見により、コルネリウス(使徒行伝10章)やカペナウムの無名の百人隊長(マタイ8章、ルカ7章)とともに、ローマ軍で最初にキリスト教に改宗した人の一人として知られるようになった。
「イエス=神」を示唆する最古の記述か
モザイクの2番目の碑文は、初期キリスト教の学者にとってはさらに興味深いものだ。そこには、「神の友アケプトゥスは、記念として神イエス・キリストに食卓を捧げた」と書かれている。
これはイエス・キリストに関する記述としては、考古学的に最も古いものであり、初期のキリスト教徒がイエスを単なる良き教師ではなく、実際に神であると考えていた証左である。一部の歴史家は以前、キリストの最初の信者は受肉を信じず、後代になって初めてイエスを神として見るようになった、と主張していた。碑文は、この初期の共同体がイエスを神であると認めていたことを示している。
この食卓への言及は、聖餐の周りに集まるという初期キリスト教の習慣のさらなる証拠も提供している。
「何か新しい発見があるわけではありませんが、このことは、他の情報源から我々が知っていることのいくつかをさらに裏付けるものとなっています」とロールストン氏は言う。
モザイクの中央近くには大きな石のブロックがある。考古学者によるこの発見の報告書には、それが聖餐台であるとは書かれていない。しかし、ロールストン氏はそれが碑文に記されているものであろうと考えている。
「そうでないとは、とても考えられないのです」と彼は言った。
床には、2匹の魚が描かれた八角形の浮き彫りもある。魚はキリスト教の一般的なシンボルだった。魚を意味するギリシャ語の「イクティス」は、「イエス・キリスト、神の、子、救い主」の頭文字として使われ、イエスの弟子たちに「人間をとる漁師に」(マタイ4・19)と語ったイエスの教えを思い出させる役割を果たした。
教会の床には、「プリミラ、キリアカ、ドロテア、そしてさらにクレステを思い出しなさい」という三つ目の碑文がある。なぜ彼女たちを思い出すのかは示されていない。おそらく、この4人(全員女性)は迫害の時代に信仰ゆえに殺されたのだろう。少なくとも、この碑文は初期の教会で女性が重要な役割を果たしていたことを証明している。
聖書博物館の新主任学芸員ロバート・デューク氏は、モザイク全体が非常によく保存されているため、それを見た人は、最初はレプリカだと思う人が多い、と語った。
「彼らは、それが3世紀に遡る実際のモザイクの床だと知って驚愕します。当時の人々はこの部屋で聖餐式を執り行っていたのです」と、以前アズサ・パシフィック大学で旧約聖書を教えていたデューク氏は言う。
考古学者は、キリスト教徒がメギドの教会で約70年間礼拝していたと考えている。西暦300年ごろ、床は陶器の破片で覆われ、その後千700年間教会を保護するのに役立った。
教会が使われなくなった理由は明らかではない。メギドにあったローマ軍の基地はそのころ廃止されたので、おそらく皆が去ったのだろう。ローマの迫害の波もあったので、信者たちは礼拝専用のスペースで公然と集まることができなくなったのかもしれない。
1970年代にイスラエルが同じ場所に刑務所を建設したとき、そこがかつて「神、イエス・キリスト」を愛したローマ兵が資金を提供した素晴らしい床を備えた教会であったとは誰も知らなかった。
メギドのモザイクは7月まで聖書博物館で展示される。その後、イスラエル聖書協会は他の機関に貸し出し、米国の他の地域のより多くの人が鑑賞できるようにする。最終的にはイスラエルに返還される。当局は刑務所を移設し、古代教会の観光地を建設する作業を進めている。
(2025年01月26日号 08面掲載記事)