昨年に所属教会にて、ともに96歳だった二人が逝去された。1945年の終戦直前、ひとりはキリスト教主義女学校の礼拝堂にて軍需品製造をしていた。もうひとりは予科練に属し、本土決戦に備え、潜水服を着て海中で敵を待ち伏せし槍を突く訓練をしていた。しかし粗悪な装備ゆえ訓練中に海中で絶命した友もいたとのこと。お二人とも「戦争が起きれば、最も苦しみ死さえも味わうのは、普通の市民だ。戦争は絶対避けるべき」と繰り返した。

私は教会で働き始め、戦時下の信仰生活についても、その世代から聞いた。敵性宗教とされ、子どもをも容赦なくいじめる日本の社会的雰囲気について語ってくださった。私の平和観形成において、戦争経験を直接的に聞くことが重要であった。

戦争経験者が激減する現在、意識することがある。戦争経験を聞いた、直接経験世代の次に位置する私たちは課題をどう受け取り、どう引き渡すか。第一走者の戦争経験者が走り終え、バトンを受け継ぐ第二走者の役割を、私たちが担う時期になってきた。やるべき選択肢の中で、戦争経験者の平和を求める言葉を、なるべくそのまま伝達したい思いがある。「戦争で、悲惨な経験をするのは普通の市民だ」と戦争経験者が語ったことこそ説得力がある。戦争経験を聞いた者として、その悲惨を、平和の尊さを、彼ら自身の言葉によって伝えることができる。

同時に、やはり私たち自身が考えねばならない。もうひとつ、先達との思い出がある。戦後50年の95年、私は神学生だった。ある授業中、大戦下の教会の戦争協力が話題となり、当時の教会に対する若い世代の失望や批判の声が多く出た。そのとき従軍経験を持つ神学教師は「当時の罪責に対する指摘はその通り。しかし、皆さんが当時の信徒だったら、徹底的に時代に抵抗できるだろうか」と意見された。神学生が沈黙していると、「そして今、その過ちを繰り返さないために何をすべきだろうか」と教師は重ねた。沈黙が続く中、一人が「何をすべきでしょうか」とたずねた。教師の応答は「福音宣教でしょう」だった。

伝道者となることを願うなら、全ての課題の解決が福音宣教にあると考えるべき、と言わんばかりのこの言葉は、あまりに単純素朴だろうか。冷笑する反応もあろう。しかし三十年後の今、この言葉は私にとっていまだに重い。戦争自体も、体制に迎合する体質も、神に対する罪の問題がその内奥にある。

現在、平和や信教の自由に対する教会の取り組みは後退している。その後退は福音宣教に対する熱意の後退と連動している、と言うのは誇張が過ぎるだろうか。政治的立場を議論することが、教会の社会的課題の取り組みの目的では無い。神を知り人を知る恵みを告げ知らせる務めと連続した先に、この課題があると意識する。先達が残した声が生かされるようなバトンリレーをし、つなぎの務めを果たしたい。

 

2025年02月09・16日号 06面掲載記事)