「日本で戦争は起こるはずがない」、「日本で信教の自由が侵されることはない」と思い込んでいませんか? しかし、社会状況は突然変化することがあります。

主イエスは十字架に架かる一週間前に、歓迎されてエルサレムに入城しました(ルカ19・37)。そして民衆は皆、主イエスの話を聞くために集まって来ていました(同21・38)。そのためユダヤ人たちも、主イエスを逮捕したいと思いつつも、できませんでした。しかし主イエスが逮捕され、裁判にかけられると、人々はイエスを十字架につけるように大声で要求し続けます(同23・21)。

またナチス・ドイツの時代に牧師をしていたニーメラーは、戦後、次のように語っています。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

 

皆さんは、「プロパガンダ」という言葉をご存じでしょうか。「宣伝。特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝」のことです。権力を持つ者が意図して宣伝活動を行うとき、私たちが気付かないうちに大きな流れができ、おかしいと思っても反対できない状況が生じてきます。

今、多くの人がSNSにより情報を得ます。そしてスマホこそが万能だと思っている方もいるかと思います。確かに、スマホからはあらゆる情報を得ることは可能です。しかしあなたの手元にある情報は正しいのでしょうか? 自分で考えることなくスマホの情報を信頼していると、無意識的にプロパガンダにおいて権力者の意図に誘導されてしまうことが起こります、、、、、

2025年02月09・16日号 07面掲載記事)