’60年代のニューヨーク、アメリカ社会見つめ問い続けたボブ・デュラン (C)2024 Searchlight Pictures.

「風に吹かれて」「時代は変わる」などでフォークソングを革新し、フォークとロックの融合の完成形を顕した「ライク・ア・ローリングストーン」ほか20世紀を象徴するシンガーソングライター、ボブ・ディラン。彼がメジャーデビューする19歳(1961年)から最大のヒット曲「ライク・ア・ローリングストーン」をニューポート・フォーク・フェスティバルにて伝説的な演奏を果たした24歳(1965年)までを描いた伝記映画。1960年代は反体制的なメッセージをこめたウディ・ガスリー(スタート・マクネイリー)、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)らのフォークソングが受け入れられていく時代。彼ら俳優の演技は、その時代を知る者には脱帽ものの人間味を醸し出す歌唱を聴かせてくれる。とりわけボブ・ディランを演じるティモシー・シャラメの存在感、歌唱力は高く評価され、第97回アカデミー賞主演男優賞候補にも挙がっている。1960年代のニューヨークの情景、フォークソングの社会的影響など時代の空気感と音楽の表現力を十分に満喫できる音楽映画としても素晴らしい。

本作のタイトルは、ボブ・ディランの代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」の一節から取られている。裕福な暮らしをしていたミス・ロンリーが落ちぶれて“名もなき者”の存在になり、行く当てもなく転がる石のような情景が描いている歌詞。それでも最終段落の手前にある
When you ani’t got nothing, you got nothing to lose
You’re invisible now, you’ve got no secrets to conceal
「何も持っていないなら、失うものもない。君は今、透明人間であるなら、隠すべき秘密もないじゃないか」という歌詞には、ただ落ちぶれたことをはかなんでいないで、“名もなき者”として生きていこうと励まし、宣言しているようにも聞こえる。聖書の神を信じ、人生を委ねる生き方にも重ねられるようで刺激的なフレーズ。’60年代のさまざまな社会問題を見つめ、自身の内面との対話を表現しているボブ・ディランの楽曲と向き合おうとしている本作らしいタイトルにも思える。

TVでのライブショーやニューポート・フォーク・フェスティバルなど人権・反戦と平和への願いを歌うジョーン・バエズとボブ・ディランのデュエットは人気も高かった (C)2024 Searchlight Pictures.

ウディ・ガスリーとピートシーガーがボブ・ディランと出会うシークエンスから描かれる物語。場末のライブバーで歌うボブ・ディラン、ジョーン・バエズとのデュエットシーンなどアーティストたちを演じた俳優は全員が自身で歌唱し演奏している。そのレベルの高いエンターテインメント性や20歳ほど年上のピート・シーガーの温厚だが正しいと想った筋道には頑固な人柄に、孤高なボブ・ディランとが協働し袂を分かっていくヒューマンドラマの深味も素晴らしい。

製作陣から事前に脚本を提供されていたボブ・ディランも納得の本作。かかわりのある人たちはほぼ実名で登場するが、ただ一人ボブ・ディランの恋人シルヴィ・ルッソ(エル・ファニング)は実名ではなく架空の名前で描かれている。ボブ・ディラン無名な時代から楽曲がヒットし有名になっていく彼に寄り添い苦悩するシルヴィだが、その姿の切なさを演じるエル・ファニングが印象的。また、ピート・シーガーの妻トシを演じる初音映莉子の自然な立ち居振る舞いもセリフを語るシーンがほどんどなかっただけに印象深い演技が記憶に残る。

エンターテイメント性と人間関係の深い洞察をとおしてボブ・ディランの「音楽」と「生き方」が描かれている本作は、「「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中に新たな詩的表現を生み出した功績」が評価され2016年にノルウェー・ノーベル文学賞を受賞したその時代と楽曲を知る大切な一章になっている。【遠山清一】

監督:ジェームズ・マンゴールド 2024年/140分/アメリカ/原題:A Complete Unknown 配給:ディズニー・ジャパン 2025年2月28日[金]よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー。
公式サイト https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown/

*AWARD*
2025年:第97回アカデミー賞作品賞・監督賞(ジェームズ・マンゴールド)・主演男優賞(ティモシー・シャラメ)・助演男優賞(エドワード・ノートン)・助演女優賞(モニカ・バルバロ)・脚色賞・音楽賞・衣装デザインノミネート。第82回ゴールデングローブ賞最優秀作品賞(ドラマ)・最優秀主演男優賞・最優秀助演男優賞(エドワード・ノートン)ノミネート。
[補足加筆:2025/02/25」