【2・11集会】「なぜ、あのような戦争を起こしたのか」石浜氏 満州基督教開拓村
同盟教団「信教の自由セミナー」で石浜みかる氏「複数の視点で、普段から政治を考える」 「証言・満州キリスト教開拓村」
日本同盟基督教団「教会と国家」委員会は、2月11日、「2・11信教の自由セミナー」を、同教団・横浜上野町教会を会場に、オンライン配信とともに開催した。テーマは「証言・満州キリスト教開拓村」。講師は、昨年同名の著書を出版し、戦時下を生きたクリスチャンに関する著書を多く手掛けている、ノンフィクション作家の石浜みかる氏。日本の大陸進出と、キリスト教会がその国策に従って送り出した開拓団について語った。
◇ ◆ ◇
冒頭、「今の日本では、あの時代のことが体よく忘れられ、沖縄の島々が軍事基地になっている。私たちは、日本がなぜあのような戦争を起こしたのかということを、ちゃんと知っておかなければいけない」として、「満州国」のことから語り出した。

―朝鮮半島を日本は植民地化したのに対し、中国では、満州事変後の1932年に、中国東北部の日本列島の3・8倍に及ぶ地域を「満洲国」という「独立国家」として傀儡(かいらい)政権を立てた。現地の農民たちが持っていた畑を、軍部(関東軍)の力を背景に安価で取得し、日本から開拓団を送り込み、約800の開拓村を作った。そこから上がる食料や石炭などの資源が日本を潤し、それを軍部が扱って次の太平洋戦争へと進んでいった。
最初に農民が開拓団として送り込まれた。当時の徴兵制により、日本人はみな武器を扱えたので、武装農民として送られ、中国人の土地に入植。日本ではあまり農地を持っていなかった貧困層が送られた。クリスチャンで農業をやっていた人は比較的豊かで、キリスト教会から送られた人はあまりいなかったが、農民だけでは足りず、その後一般人も送られるようになる。
その時、宗教界に目が向けられ、仏教も天理教も移民団を送った。キリスト教会で旗振り役となったのは賀川豊彦。第一次基督教開拓団の団長は、賀川の弟子で牧師をしていた堀井順次が務めた。団員はみな農業の経験はなかったが、それぞれに満洲への憧れを抱いて、41年にハルビン近郊の長嶺子に入植した。もちろん、団員には侵略の意識など、毛頭なかった。
第2次開拓団は45年4月。すでに戦局は悪化し、関東軍は南方でアメリカ軍と戦っていたので、満州の守りのために男子が動員され、開拓団に残されたのは老人、女性、子ども。5月にドイツに勝利したソ連軍が、8月8日に満洲に入ってきた。自分の土地を追い出されていた現地の農民はそれを日本人から取り返そうとし、、、、、
(2025年03月02日号 04・05面掲載記事)