被災地で宣教観が変わった 『私の救い、私たちの希望』著者・川上氏が講演

支援活動をする中で被災者と出会い、教えられたこと、気づいたこと、気づかされたこととは…。日本基督教団東京教区東支区社会部委員会は、『私の救い、私たちの希望 ボッシュ「宣教のパラダイム転換」を被災の地で読む』(YOBEL.Inc)の著者、川上直哉氏(日基教団・石巻栄光教会牧師、NPО法人被災支援ネットワーク「東北ヘルプ」事務局長)を講師に招き、2024年度東支区社会部社会セミナーを2月24日、千代田区の富士見町教会で開催した。テーマは「『私の救い、私たちの希望』一人一人を大切にすることからはじまる宣教論」。
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川上氏は、東日本大震災以降、東北ヘルプ代表として被災地支援に従事。英国の神学者P・T・フォーサイスの墓碑に書かれた言葉「十字架を通って光へ(Per Crucem ad Lucem)」を紹介し、「フォーサイスの贖罪論を思いながら支援活動してきた。フォーサイスがいなかったら続かなかった」と明かした。
その上で、日本基督教団「日本伝道の推進を祈る日」のポスターに触れながら、ミシオ・デイ(Missio Dei)という宣教論について触れた。「ミシオ・デイとは『神が働く』と言うこと。神がまず働き、教会はそのお手伝いをする。神が働く畑を共に耕す。これは私が学んできたことでもある」
一方、「ミシオ・デイは植民地主義・帝国主義の反省から、私たちの間に定着した」とも語る。「植民者が、自分たちの住みやすいように移住先を作り変える。そのためにキリスト教を植え付け、教会を立てる。このような宣教論が今でもある。その反省が20世紀に起こった。ミシオとはミサ(聖餐)という言葉の語源だ。ミサは派遣とつながりがある。良い知らせを届けるために、私たちは派遣される。それには派遣元と派遣先がある。宣教とは、派遣元と派遣先の間にあることだ」
その宣教のためには、⑴抽象的には、三位一体論の汎神性を回復すること。諸宗教協働を成立させる贖罪論が必要、⑵具体的には、教会にしかできないことに専念し、そのためには生活基盤がないと宣教ができないので、「生業と宣教の整理」が必要であると述べた。
「キリスト教は一神教と言われるたびに、イスラム教徒から『あなたがたはそうではない』と言われる。三位一体の汎神性を回復することは、諸宗教協働の実りにつながっていく、、、、、
(2025年03月09日号 04面掲載記事)