岩村さんとウー・ラ・アーさん(Bone Ohe ポウオー村[1万人]のボランティアの最高責任者。弟のニーさんを被災で失った)

 

国内外の災害・人道支援に取り組んできた、神戸国際支縁機構代表・岩村義雄さんと姉妹団体で、世界の孤児支援をする「カヨ子基金」代表・佐々木美和さんは、ミャンマー大地震発生後、330日の礼拝後すぐに、タイ、ミャンマーを訪問した。以下岩村さんからのレポート。

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3月30日に出発しミャンマーの巨大地震(マグニチュード7.7)の震源地ザカイから1000キロ離れた隣国のタイ国首都バンコクに向かいました。31日午前7時半に到着。

チャトゥチャックで

 

市内の チャトゥチャック(Chatuchak)を訪問。33階建ての高層ビル倒壊が倒壊し,現場にバンコクのチャチャート・シティパン(Chadchart Sittipunt 59歳)知事の視察に遭遇しました。被害者の数などを尋ねる機会もありました。死者11人、不明1人、負傷者76人。現場から45分地下鉄を利用してバング・ホーに向かい、そこでも倒壊したクレーンで一人が犠牲になって騒然としていました。その夜、タイ国スワンナプール空港からミャンマーに。100歳になる仏教のウー・ティ・ザ老師たちと入国しました。

 

4月1日、ミャンマーの最大の被災現場であるマンダレー(Mandalay မန္တလေး  ヤンゴンに次ぐ第2の都市人口約150万人)に到着しました。空港は地震で閉鎖のため、車で約10時間かかりました。ネピドーなどを経由して、マンダレーの最も被害が大きく

138人が亡くなっていたポウオーを中心に寄り添いました。震源地ミャンマー国ザカイでは橋が崩落したり、住民の家屋も損壊しています。

 

マンダレー ポウオー 隣村への橋が損壊

 

病院も野戦病院と化していました。病床数が不足し、道路脇に荷物用車に寝台代わりに用いていました。住民の多くは農家です。トラクターなど用いないアジア特有の人間の手でコメを育てています。牛、山羊、鶏、ガチョウ、アヒルなども、被災住民が牧草地に移動してきて青空の下に生活をされています。

子どもたちと

気温は40度を超えていましたが地震の被害のすさまじさに背筋が冷たく、暑さを感じませんでした。電気もありません。水は井戸水を用いています。

ウッケマン村長(51歳)から、孤児のために「カヨコ・チルドレン・ホーム」を期待されました。

義援金など詳細は 神戸国際支縁機構 https://kisokobe.sub.jp/

 

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