映画「秋が来るとき」――心のひだに潜む影の存在への気づき

スイスの精神科医ポール・トゥルニエは、著書『人生の四季』で“人生の秋”を人生で積み重ねてきた経験や努力の“実りと成熟”そして健康や若さ、社会的役割を失う“喪失や変化”が同時に訪れる季節として描いた。本作の冒頭、老齢のミッシェル(エレーヌ・バンサン)がパリで仕事をしていた時代からのい友人マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)と二人で語り合いながらブルゴーニュの紅葉の森の中をキノコ採りに歩く情景は、人生の実りの秋(とき)が感じられて美しい。
娘には赦せない
母の「秘密」とは
日曜の朝、教会の礼拝に臨むミッシェル。祭司は過越祭の前、ナルドの香油を自分の髪に浸し、イエス・キリストの足に塗る女の話を、カトリック伝統の解釈に則りマグダラのマリアと同一人物としてキリストの赦しと和解を説く。
ある日、刑期を終えて出所するマリー=クロードの息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)を迎えに行き3人で昼食を摂り、互いを思いみる和みの雰囲気に包まれる。翌日、休暇を過ごすためパリから娘ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)と孫ルカ(ガーラン・エルロ)が到着した。だが、娘の機嫌が悪い。到着するなり、庭で離婚調停中の夫(マリック・ジディ)と電話で口論している。ルカが「僕の(養育の)ことが原因だよ」とミッシェルに打ち明ける。ミッシェルは、マリーと朝採って来たキノコでスープを作りもてなす。だが、ルカは「キノコは嫌い」と言って食べないで、大好きなミッシェルと散歩に出掛ける。ところが、帰宅すると娘がキノコに食当たりして救急車を呼ぶ騒動になっている。幸い軽度だったが、ヴァレリーは「私を殺そうとしたんでしょ」と冷たい口調でなじる。ミッシェルがパリで仕事しているときに買ったマンションをもらい受けたヴァレリーだが、ミッシェルが住んでいる土地家屋の権利も自分に譲ってほしいと話す目的で着ていた。さらにこの騒動で帰る時に「500フラン送金して。すぐに要るの」と、にべもなくルカを連れてパリへ帰ってしまう。
ミッシェルが「もう孫にも会えなくなった」と嘆いていることを母のマリー=クロードから聞いたヴァンサンもミッシェルの哀しみを気遣う。翌日、パリ警察から娘ヴァレリーがアパートのベランダから転落して死んだとの急報。事故死なのか事件なのか…。ルカはミッシェルの家で暮らせることになった。希望がかない安堵するミッシェルだが、ヴァレリーの亡霊が現れるようになりミッシェルを責める。しばらくしてミシェルたちを事情聴取したパリ警察の警部(ソフィー・ギルマン)がブルゴーニュのミッシェルの家に来た。ヴァレリーの死に事件性の疑いが出てきたという…。

日常の裏に潜む危うさや
人生の予測できない転機
ヴァレリーは、なぜ母親のミッシェルに冷淡な態度だったのか。親子関係や過去の秘密をテーマに、穏やかな日常とサスペンス的要素を織り交ぜたドラマの展開に惹かれていく。どんなに噂が立っても娘には語らず守り続けた秘密が、高齢になって孫の心を悩ませる。それでも愛をもって接し、和解と赦しを求めるミッシェルの憂いは、だれの心の奥にも潜んでいそうな影の存在に気づかせられる。【遠山清一】
監督:フランソワ・オゾン 2024年/103分/フランス/フランス語/原題:Quand vient l’automne 英題:WHEN FALL IS COMING 配給:ロングライド 2025年5月30日[金]より新宿ピカデリー、TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開。
公式サイト https://longride.jp/lineup/akikuru
*AWARD*
2024年:第72回サン・セバスチャン映画祭脚本賞(フランソワ・オゾン、フィリップ・ピアッツォ)・助演俳優賞(ピエール・ロタン)受賞。 2025年:「横浜フランス映画祭2025」(3月20~23日=横浜みなとみらい21地区)上映作品。