各地で2・11集会
2月11日は建国記念の日だが、キリスト教会では信教の自由を守る日。今年も11日前後に、各地で2・11集会が開かれた。(2月23日号で一部既報)
旧紀元節、「建国記念の日」制定に抵抗してきた「2・11東京集会」の第59回が、東京・新宿区の日基教団四谷新生教会で2月11日に開かれた。「象徴天皇制と差別」と題し藤野豊氏(日本近現代史研究者、元敬和学園大学教授)が語った。
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同会では基調報告として、天皇制、教育、ジェンダーバックラッシュ、憲法、沖縄・基地問題、原発、建国記念の日、などの動向・解説を紹介。集会宣言が採択された(全文は電子版)。
藤野氏は、戦前戦後の天皇制の連続性について語った。日本国憲法施行前の1946年、天皇批判のプラカードを掲げた労働者が不敬罪で逮捕。国会の議論の中、天皇と国民の違いは「血統」と答弁された。しかしGHQが皇族と国民の差別を問題視し、不敬罪、大逆罪は廃止。「憲法1、2条と14条の矛盾が明らかになった」と指摘した。

『昭和天皇拝謁記─初代宮内庁長官田島道治の記録』(岩波書店、全七巻、2021~23年)からは、「天皇の戦前と変わらない意識」であることを見出した。裕仁天皇は、「無差別の平等」を否定し、共産思想と結びつけていた(1953年1月14日の条)。ハンセン病(「癩〔らい〕」)については、「癩の問題でも無法の事は厳に取締ると共に、彼等の為に恩となる事は精々やる」(1953年9月27日の条)と述べた。「当時、『らい予防法』に反対する当事者の座り込み運動などがあった。天皇には、国に逆らう者を抑え、逆らわないように恩恵を与えるという姿勢があったことが明らかになった」と話した。
また、天皇・皇族の旅先での対応にも差別が現れていた。戦後の全国巡行の際、障害者やハンセン病患者の隔離、取り締まりが行われた。1960年高松宮の旅行先の旅館で、従業員に直接身体を調べる直接検便を実施。女性らから人権侵害の声が上がった。その後も71年、天皇皇后の伊勢参拝、75年沖縄海洋博、81年びわこ国体、87年海邦国体などで、精神障がい者の取り締まりがあったとし、「政府は『行き過ぎがあってはならない』と毎回言うが、結局繰り返された」と言う。
北村小夜著『慈愛の差別─象徴天皇制・教育勅語・パラリンピック』(梨の木舎、2020年)や遠藤興一著『天皇制慈恵主義の成立』(学文社、2010年)などの著作を紹介し、「天皇制には、慈しみを述べる高貴な人と憐れな人という差別の構図がある」と語った。
一方、「近年の研究者は、昭和批判はするが平成については、憲法を守り、社会的弱者に膝をついて話す、という『あるべき天皇像』があるとしがち」と指摘。元皇室担当新聞記者による『比翼の象徴―明仁・美智子伝』(全三巻、井上亮著、岩波書店、2024年)ではハンセン病療養施設を訪問した元天皇夫妻について「ハンセン病への偏見を払拭することに大きく寄与した」という記述を繰り返す。藤野氏は「当事者たちの営み、戦いを抜きに、天皇の力で差別が解消したかのように言うのはどうなのか。慰問をしながら、一方で権利主張が抑えられる。国の責任を不可視化させないか」と疑問を呈した。
質疑応答では、園遊会、右傾化、天皇制の必要性の是非、皇族の解放、9条と天皇条項の関係、元号などの伝統について話された。藤野氏は、年内に『差別と天皇制』を刊行予定。
