「同性愛」と聖書解釈〈3〉差別を支えた〝創造の秩序〟 識別要する結婚観・家族観
新刊『「同性愛」二つの見解 聖書解釈をめぐる対論』の朝岡勝氏による書評の3回目。
前回
「同性愛」と聖書解釈〈2〉 聖書の規範性と時代的制約 解釈者自身に潜むバイアス
創造の秩序の神学を吟味する
第三に「創造の秩序の神学の吟味」を挙げたいと思います。聖書的世界観や自然観、人間観の重要な根拠として「神の創造」の教えがあります。創世記1〜2章には「無からの創造」、「ことばによる創造」、「秩序ある創造」、「善き創造」など重要なポイントが示唆されています。そして3章の「堕落」の出来事によって人は「神のかたち」を毀損し、生まれながらに罪ある者となったばかりか、被造世界全体も本来の目的からの逸脱と倒錯に陥ってしまいました。聖書の語る「救済」は、こうした被造世界全体の回復と更新、完成へと向けられています。
しかしここで気をつけたいのは、「創造の秩序の神学」が過度に強調されるあまりに聖書の記述の歴史性や時代的制約が顧みられず、特定のテクストの固定化と絶対化を生み出す恐れがあるということです。
ナチ時代の対ユダヤ人政策、南アフリカの人種隔離政策などが「創造の秩序の神学」から肯定された歴史を忘れることはできませんし、それと同じことがジェンダーを巡る問題でも起こりうることを懸念します。
本書で言えばパウロの「自然」理解やアウグスティヌスの「結婚の秩序」理解などは、創造の秩序の神学の吟味と熟慮によってさらに検討される必要があるのではないでしょうか。
神学的人間論の深化
これとの関連で第四に「神学的人間論の深化の必要性」を覚えます。旧約・新約いずれにおいても「結婚」は「神・人」の関係の類比として用いられてきました。旧約における神とイスラエルの関係、新約におけるキリストと教会の関係は、結婚における夫と妻のあり方と結びつけられ、それらもまた「創造の秩序の神学」によって支えられてきました。神と神の民との関係理解は重要です。それとともに結婚の究極の目的と祝福を生殖とするアウグスティヌスの理解などは、今日の多様な夫婦や家庭のあり方や独身として生きることの召命に照らすとき、読み直しが求められる点でしょう、、、、、
(2025年05月04日号 07面掲載記事)