豊田通信(日本基督教団小田原教会 牧師)

オウム真理教に強制捜査が入った後、子どもたちが児童擁護施設等に「保護」された時のことを振り返っています。あの時、私はこう思いました、「もう安心だ、子どもたちは救われた」と。けれども、それが間違った認識だったことに、ずいぶん後になって気付きました。

確かに子どもたちは、身体的な安全が保障される環境に迎えられました。しかし、子どもたちの心は、オウム真理教が空想した世界の中になおも生きていたのです。その子どもちは、社会全体が敵になり自分を拒絶しているように感じてしまう世界に突然放り出されました。どんなに不安だったでしょうか。混乱したでしょうか。怒りや理不尽さを感じたことでしょうか。 子どもたちの中には、オウム真理教による数々の犯罪行為を知って「仕方ない」と考えた者もいました。しかし、頭では分かっていても、感情は違う叫びを上げていました。

その犯罪行為の代償をなぜ自分が、自分の人生において支払わなければならないのか? なぜ自分が偏見にさらされ、苦しみながら、隠れるように生きなければならないのか? 私たちはかつて、カルト団体による被害者、その信者「個人」の心を見つめ寄り添う務めに召し出されていることを忘れて、ひとつの宗教「団体」の崩壊に安堵(あんど)してしまったのではないでしょうか。

本年3月25日、東京地裁で世界平和統一家庭連合(旧統一協会)
を解散する決定が出されました。旧統一協会が「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」ことが、司法によって認定されたのです。裁判は最高裁まで争われることでしょうが、不法行為に該当する行為によって類例のない甚大な被害を生じさせ、今後も事態の改善を期待するのが困難だと見なされる団体に、税制上の優遇措置を与え続けることが不適切だという判断は、この法治国家において揺らぎようがありません。

しかし、私たち教会の関心事は人間の魂の救いです。信者やその子どもたちは、社会との関わりの困難さを感じます。特定の宗教を信仰する人とのみ交流してきた結果、多様な価値観に触れる機会が失われていたからです。その宗教からの精神的離脱にも、相当な困難があります。カルト信仰は恐怖(フォビア)を信徒に植え付けます。その恐怖は離脱しようとするときに初めて現れ、強い不安を引き起こすのです。

また、自分の一部になってしまった価値観はすぐに変えられるものではありません。嫌悪してきた「この世(堕落世界)」の基準に適応することに罪悪感を感じたり、自分の心に無理をさせて過剰に適応したふりをして、偽りの自分を生きることで、孤立感や疎外感を深めてしまうこともあります。

さらに、自分の意思とは無関係に特定の宗教の価値観や習慣に囲まれて育った結果、本当の自分とは何なのかとアイデンティティーの葛藤を抱える人もいます、、、、、

2025年05月11・18日号 06面掲載記事)