映画「摩文仁 mabuni」――“死者の記憶と祈りが刻まれた丘”沖縄戦後80年鎮魂の記録

沖縄県では、県条例で毎年6月23日を「慰霊の日」と定め、沖縄戦等の戦没者を追悼し世界の恒久平和を願う日として県内各地で慰霊・追悼式典が行われる。県内に建立されている慰霊塔・慰霊碑は4百40を超えるいう。県南部の激戦地・糸満市摩文仁の平和祈念公園では政府要人らも参列し「沖縄全戦没者追悼式」が毎年行わる。新田義貴監督は、この摩文仁の丘で亡くなった沖縄県民、軍人、国籍・人種を問わず個々人の名前を記した「平和の礎(いしじ)」ほか近隣に建立された慰霊塔・碑を訪れて祈念する遺族など様々な立場の人々の思いが交錯する様を丁寧に映し出す。そして、慰霊と顕彰の本質に迫る重厚な映像詩をとおして死者をどう記憶し、どう祈念するのかという普遍的な問いを投げかけている。
記憶の継承、証言の責任
そして希望
本作の冒頭、制服に身を包んだ自衛官有志らが、摩文仁の丘頂上に建つ沖縄戦の最高指揮官・牛島満大将(自決の2日前に中将から昇進)の顕彰塔「黎明之塔」に参拝する。「私的参拝なら私服で来ましょう」などの声が上がるなか、指揮官の号令に従い自衛官一同は無言で一礼する。新田監督は、このような「“英霊の顕彰”と“犠牲者への慰霊”が常にせめぎ合いは、本土と沖縄の分断を象徴してきた」という視点から、この対立は単に異なる慰霊の方法というだけでなく、戦争の記憶そのものをどう位置づけるかという根本的な問題を含んでいることを指し示す。「英霊の顕彰」は戦死を国家のための崇高な犠牲として讃える姿勢であり、一方の「犠牲者への慰霊」は戦争によって命を奪われた個々人の苦しみに焦点を当てる立場です。これらの視点の違いは、戦後日本における戦争の記憶をめぐる対立の縮図でもある。
沖縄県知事を2期務めた大田昌秀(故人)さんは、鉄血勤皇隊として日本軍と行動をともにし、摩文仁の丘に追い詰められ多くの学友を失った経験を語る。戦後、ジャーナリズム研究を経て政治家となり沖縄県公文書館設立、鉄血勤皇隊戦死者を慰霊する「沖縄師範健児之塔」や平和祈念公園の「平和の礎」建立などに尽力した。この「平和の礎」では、人が行き交うなか刻まれた個人の名前の前で、一人鎮まり長時間静謐なときを過ごす人が多いという。県民に限らず、旧日本軍兵士(故人)、牛島司令官や大田実海軍司令官の孫、在米軍人、韓国人遺族らの感話、証言から記憶の継承、証言の責任、そして希望を失わないことの大切さが伝わってくる。
魂の慰めと死者への想い

本作が提示している「戦争で遺された者は死者の魂をどう受け止めその霊を慰めるのか」という問いは、人間の根源的なテーマといえる。この問いを体現し続けているような一人の花売り女性・大屋初子おばぁの生きてきた証言の姿を新田監督は追う。
旧摩文仁米須村出身の初子おばぁは10歳の時、最後に逃げ込んだ豪で集団自決が起きた。だが「死にたくない!」と一人泣きじゃくり家族に迫った。しかたなく初子おばぁの家族は豪を出て、必死に生き延びてきた。戦後間もなく、旧摩文仁米須村の住民らが、辺り一面に広がっていた遺骨を拾い集めて骨塚に納めた。それがやがて「魂魄之塔」(こんぱくのとう:写真上)となり戦後最初の慰霊塔となった。初子おばぁはこの塔の前で、参拝用の花を売り続けてきた。小学生たちを引率する先生は、生徒たちに当時と同じ年頃だった初子おばぁを生徒たちに紹介する。戦後80年、村人たちと遺骨を拾い集めた初子おばぁが、「ただ、死者の魂を慰めようと祈り続ける」姿は、ひとりの人間としての尊厳を体現し、戦争による人間性の破壊に対する静かな抵抗であり、生きていることの証しの強さを想わされる。【遠山清一】
監督・撮影・編集:新田義貴 2025年/97分/日本/ドキュメンタリー 配給:ユーラシアビジョン 2025年6月7日[土]より沖縄・桜坂劇場にて先行ロードショー。6月21日[土]よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。
公式サイト https://eurasiavision.net/mabuni/
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