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コロナ禍を神学する パンデミックで問われた教会の存在意義
新型コロナ禍の2年目。集まって礼拝するというキリスト教会の日常が制限され、オンラインの活用が一気に広がった。
そうした中で、聖餐式は可能なのか、交わりや人のつながりをどうしたら保つことができるのか、オンラインでの礼拝が礼拝であるとはどういうことなのかなど、教会のあり方や福音信仰の本質が様々なかたちで問われた。
絶望に寄り添える存在を目指して病院のチャプレンに身を投じる牧師、大人数が参列できない家族葬であっても礼拝を重視し気持ちを通わせる慰めの場であろうとする葬儀、ワクチン接種から取り残される貧困地域や難民への支援に奔走するNGOなど、多様な分野で人々に仕える必要も浮き彫りにされた。
そうした中で日本福音同盟(JEA)が加盟団体に実施した「コロナ禍の影響と福音派の教会開拓の現状」アンケート調査は、パンデミック下の教会の実情を記録するものとなった。多くの神学的な考察もなされた中で本欄では、日本福音主義神学会第16回全国研究会議における11月16日の分科会「コロナ禍を神学する」で発表されたキリスト教倫理学、歴史神学、宣教の聖書神学からの講演要旨を紹介する。
倫理学的考察 教会が社会を祝福する存在に
コロナ禍において諸教会は正解を見出すことが困難な問題を突き付けられた。過去のパンデミックにおいては心の拠り所として機能した宗教が、今日では無用なもの、さらには感染を拡(ひろ)げる有害なものと受け止められる一面があった。平時では自己犠牲的な愛のわざとなる行為が、コロナ禍では感染を拡げる要因となり得るからである。コロナ禍において、私たちはキリスト教会が従来大切にしてきた親密な交わりや礼拝への献身のあり方の見直しを迫られた。教会はいかにして社会を祝福する存在となれるのか。
人々がコロナ禍で苦しみ、不安に怯え、試練の日々を歩む中で、キリストの群れは人々や社会に対して一体何ができるのか。コロナ禍における愛のわざ、自己犠牲の実践とはいかなるものなのか。
感染が深刻化している状況の中では、教会が自発的に集会等の活動を自粛することは愛のわざであり、キリストの愛に根差した自己犠牲の行為と言えるのではないだろうか。ウイルス感染は個人の問題ではなく、その人が関係する共同体全体の問題となり得る。教会活動の自粛は、教会の存続をも危うくするかもしれない。しかし、いのちを救うために社会全体が感染拡大を防ぐための取り組みをしている中で、教会も犠牲を払ってその取り組みに協力するのであれば、それ自体が愛の実践となるのではないか。
聖書物語は、契約共同体(神の民)を形成する神のご計画に焦点が当てられている。それゆえ、倫理的関心が注がれる第一の領域は個人の性質ではなく、共同体としての神のみこころへの従順にある。問われるべきは「私は何をすべきか」ではなく、「私たちは何をすべきか」である。
日本福音同盟宣教委員会が行った調査書の中で、「地域の施策とつながる対応」に関して約7割の教会が「地域の施策と連携を考えない」、「実施しなかった」と回答している。これは教会の社会性や公共性の欠如に起因しているのであろうか。教会が地域社会から孤立した、あるいは無関係な存在となっているとすれば、宣教の使命を果たしていくことが困難になるだろう。(杉貴生=福音聖書神学校校長)
歴史神学の視点 霊的戦いと福音の勝利が確信か
中世末期から宗教改革時代のヨーロッパを襲ったパンデミックは様々な神学的応答を生み出した。
〝死を覚えよ〟から〝良く生きる術〟の渇望へ。
1.ウイルスによる感染爆発は、いつの時代にも避けることのできない現実である。感染症に対する基本的対処法は500年前も変わらない。消毒・隔離・換気・密集/不要不急の外出の自粛など。
2.当時の教会に共通していたのは①疫病を含む自然災害の理解(神の摂理による裁きや試練・訓練)。②聖職者の使命の理解(罹患者の霊的ケア)。
3.改革者たちの福音的信仰において特徴的なことは、①生死を超えたキリストとの一致を唯一の幸いとした。②信仰と理性的判断を共に重んじた。③最終的には、事柄を〝霊的戦い〟と捉えた。
以上の考察から、今日、私たち福音主義信仰に生きる信仰者や教会に対していくつかのことを問う。
1.私たちが全能の神の摂理と統治を信じるなら、この災難をも神の摂理と受け止めるべきではないか。改革者たちは自らと教会に対し、悔い改めと信仰的覚醒を求めた。
2.死への人間的な恐れはいつの時代の信仰者も変わらない。しかし福音的信仰の本質は、キリストにある全人的な一致による永遠の命であり、肉体の死を恐れないということであった。そのような〝霊的戦い〟と福音の勝利が私たちの確信となっているか。
3.当時と今日の大きな違いは、感染についてのマスコミやネットによる膨大な情報量と、医学と医療技術の進歩による(一般)恩恵である。しかし、他方で私たちの信仰が単なる〝魂の救い〟に矮(わい)小化され、実際の生活ではマスコミの宣伝による〝科学万能信仰〟や〝ワクチン信仰〟に陥っていないか。
4.教会の感染予防対策で、感染させないという〝隣人愛〟が活動自粛の主たる理由として挙げられてきた。しかし、本当に隣人愛のみが理由だろうか。社会的同調圧力や外部からの目や批判への恐れが大きくはないか。
また、活動自粛だけが隣人愛の在り方だろうか。
5.教会やキリスト者の〝社会的責任〟とは社会に迷惑をかけないという消極的な姿勢だけか。このような災禍の中だからこそ、教会は世にとって真に必要不可欠な場所になる必要があるのではないだろうか。(吉田隆=神戸改革派神学校校長)
宣教の聖書神学 宣教を前進させる神の許容的御手
新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う諸影響によって、私たち人間は多くの事実に気付かされた。そのうちの一つは、自分が所有していると思っているものが実は所有していないという事実である。神が地球を造られたゆえに、この地球は神のものである(申命記10・14)。コロナ感染予防のためのワクチン、治療薬が開発されているが、神が造られた人間の体の仕組みがあり、人間はその秩序を治めているに過ぎない。
2019年末、新型コロナウイルスは中国の武漢からあっという間に世界中に拡大していった。感染予防対策として様々な集会のオンライン化がグローバルに一気に進んだ。これらのことを通して、私たちは「宇宙船地球号」に住む一人であることを実感した。
各国でのワクチン接種に格差があり、富める国がワクチンを独占している問題も、ワクチンが各国に行き渡らなければ感染の終息には行き着かないという事実に、すべての被造物は神の計画のゴール、それは「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められること」(エペソ1・10)に私たちが確実に向かっていることを実感させるものであり、今まで私たちに欠落していると指摘されてきた「共同体的視点」を体験を通して与えるものではないかと考える。神はご自身の計画を、私たちを巻き込みながら進めて行こうとされている。
今世界は新型コロナウイルスと、そして地球温暖化の問題により大きく変化している。その中で浮き上がってくるワードは「共生」と「分断」。この二つは相反する言葉である。「共生」という理想に立ちはだかる「分断」という現実、と言い換えることができる。私たちはこの「分断」の原因を知っている。それは自己中心、自民族優越意識である。相手を信頼できない愛の欠如でもある。
世界はその解決策を探している。私たちは罪の問題とその解決策を知っている。神のかたちとして造られた私たちへの召命は今日も変わらない。(高橋めぐみ=関西聖書学院学院長)
混迷アジア民主化圧迫
ミャンマー、香港を中心に、アジア各地で市民や民間機関への圧迫が増している。「民主化」のもろさが露呈し、教会活動にも影響が出た。国際社会も手をこまねる状況だ。2月以降ミャンマーでは、市民らによる平和的な抵抗運動が展開されてきた。初期には現地在住の日本人からもレポートが届いた。やがて事態は流血の抗争、弾圧にいたり、教会にも軍による破壊行為が広がった。
アジア福音同盟、アジアキリスト教協議会などを通じて、国際的な祈りと連帯が広がった。日本でも在日ミャンマー人に寄り添ってきた、マイノリティ宣教センター共同主事渡邊さゆり氏を中心に、毎週金曜9時の祈祷会が継続する。ミャンマーに多い仏教徒とともに諸宗教の祈りにも展開し、具体的な支援団体「アトゥトゥミャンマー支援」も設立された。厳しい情勢下だが、現地で500人が信仰告白したというニュースもある。
中国共産党成立100年、習近平の「歴史決議」、2022年「北京オリンピック」開催など中国の集権化と国際的影響力が強まっている。20年の国家安全法成立以来、香港の自由の幅は狭まり、メディア、組合などの解散が相次ぐ。現地で信仰に立った抵抗をつづけた「香港牧師ネットワーク」も9月に解散した。その中心人物の楊建強氏は、同月移住先の英国で逝去した。日本では香港のために祈り続ける有志の牧師の会が定期的に開催され香港の教会や海外移住者の祈祷課題を共有した。同会メンバーで中国・香港のキリスト教史専門家の松谷曄介氏は『香港の民主化運動と信教の自由』(教文館)を刊行し、香港の教会史、現情勢の神学的考察の土台を提示している。
そもそも日本と中国のキリスト教会の関係は歴史的に密接だ。戦中は日本の教会リーダーらが軍事下を背景にしつつかかわった。戦後は中国を逃れた多くの宣教師たちが日本の教会の土台を築いた。中国の公認教会、地下教会との関係も続いた。中国共産党成立100年について本紙で連載した。こんな中、台湾発放送局 GOOD TVの日本拠点ができた。
近代に西洋から伝来したアジアのキリスト教は現地の文化、政治体制と緊張関係にさらされることも多い。一方そもそもキリスト教はアジア由来でもある。10月に開かれた「アジア宣教会議2021」では、アジアの多様な課題を共有した。デジタル化を背景に広がる「Z世代」は、共通の社会認識、行動力をもつ。世代、地域、分野を超えた対話への期待も語られた。
地球温暖化危機 被造世界へ使命
国連気候サミット開催もあり、「気候危機」に世界的な関心が向けられた。キリスト者も国際レベルで「被造物の季節」キャンペーンやCOP26気候サミットのための祈りなど、世界福音同盟、ローザンヌ運動、世界教会協議会などがかかわる取り組みが多様なアプローチで進む。日本では、日本伝道会議を契機にした、「『福音に生きる持続可能』をめざす環境コンソーシアム」が活発化し、聖書学者リチャード・ボウカム氏の講演会を実施した。同氏の『聖書とエコロジー』が近く翻訳出版される。
東日本大震災10年、記憶継承へ
2月には福島県沖で震度6強の地震が発生し、10年前を想起し、廃炉作業中の原発の存在を再認識させた。
コロナ感染拡大直後で中止が相次いだ昨年と違い、今年の東日本大震災記念集会は、各地でオンラインを駆使して準備された。福島県キリスト教連絡会の記念集会は多様な県内外の関係者がオンラインで再結集した。宮城三陸3・11東日本大震災追悼記念会は、各地を中継し配信した。東北ヘルプもオンラインで回顧と展望を語り合った。3・11いわて教会ネットワークは国内外をつなぎ宣教報告した。東京で毎月11日に開く「一致祈祷会」も継続する。日本福音同盟は「宣教フォーラム福島」を開催し、課題の多い「フクシマ」の現状と宣教の課題を共有した(11面参照)。
本紙では3月に震災10年を特集し、超教派の支援団体の初動をまとめ、代表者たちに10年を回顧してもらった。一方連載「私の3・11」では個人の体験に焦点をあてた(12。13面参照)。今後は記憶の世代間継承が課題になる。
石巻市などが主催する総合芸術祭では、崩壊の中で生じた「利他」的行動をアートの想像力で再生する試みがあった。教会はキリストの犠牲を覚える礼拝を土台に、地域課題に向き合い、復興以上の「新しい創造」に参与することができるだろう。そのようなヒントを震災支援活動はもたらした。
難民制限強化に「教会共同声明」
2月、難民申請の回数を制限する項目を盛り込んだ出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案提出をきっかけに、入管収容者を支援する牧師らのオンラインミーティングや寄稿、入管法改正案に反対する「共同声明」、関連集会が相次いだ。
日本福音同盟(JEA)宣教委員会異文化宣教ネットワークは3月、在住外国人問題Zoomミーティングを開催。政府が入管法改正案の今国会での成立を見送った5月以降も、入管収容者の人たちを覚えるために毎月1回開催。被収容者の支援に重荷のある牧師らが集い情報交換している。
国会審議中の4月22日には、国内外58教会・団体が「教会共同声明」を発表。同日、日本同盟基督教団「教会と国家」委員会はオンラインセミナー「難民と共に生きる」を開き、外キ協事務局次長の佐藤信行氏が「入管法改定は追放政策だ」とし、「キリスト者、教会として何ができるか考えていきたい」と語った。
入管収容者の問題は11月の「JEA宣教フォーラム福島」の分科会でも取り扱われた。
大雪、土石流、豪雨災害に教会も支援
各地で自然災害が発生。
1月には北陸地方に記録的な大雪が降った。新潟県上越市高田では48時間降雪量が観測史上最大を記録。信徒が礼拝に来られない、会堂の引き戸が開かなくなるなど、地元の教会にも影響が出た。
7月には、東海や関東を中心に降った長雨により熱海伊豆山で土石流が発生。神戸国際支縁機構やオペレーション・ブレッシング・ジャパン(ОBJ)が支援開始。台湾基督長老教会から熱海土砂災害のための義援金200万円が静岡県に贈られた。
8月には九州北部、広島県などを中心に全国的に大雨が降り続き、土砂崩れや浸水被害が発生。九州キリスト災害支援センター(九キ災)は、浸水被害の大きい佐賀県武雄市にスタッフを派遣。地元教会が「佐賀災害支援教会ネット」を発足させ、九キ災と連携し支援活動を行った。その経過は九キ災の「豪雨災害情報共有会議」(オンライン)で随時報告された。
その他、3月には西日本豪雨災害(18年)の被災地・被災者支援のための施設「まびくら」が2年3か月の働きを終えた。熊本・大分地震から5年目を迎えた4月には、九キ災が「きなっせコンサート」を開催してYouTube配信。同月、全国ネットワーク「キリスト全国災害ネット」の第3回会合が開かれた。
オリパラで100万時間の祈り
コロナ禍、東京オリンピック・パラリンピック(以下オリ・パラ)が開催された。日本国際スポーツパートナーシップ(JiSP)は開催不透明な中祈り会を重ね、開催決定後は日本福音宣教師団(JEMA)と協力し、国内外のクリスチャン有志が毎日1時間祈る「100万時間の祈り」を期間中に実施。98か国11万超の個人・教会が関わった。オリ・パラ期間中行われた反人身取引「It’s a Penaltyキャンペーン」にゾエ・ジャパンが協力、日本のクリスチャンに向け祈りの支援を呼びかけた。11月、パラ水泳メダリストの鈴木孝幸選手(8面にインタビュー)を取材した。
