1972年にディーン・M・ケリーがその挑戦的な問題提起の書『なぜ保守的な教会は成長しているのか』(Why Conservative Churches are Growing)を刊行した。この研究は、それまでともすれば印象によってのみ語られていたアメリカの保守的な教会の教勢伸張と、それに比較してリベラルな教会の教勢低下傾向を、60年以降の各教派の詳細な教勢分析によって明らかにしたものだった。ケリーが挙げる保守的な教派とは、南バプテスト教会、アッセンブリー・オブ・ゴッド教団、ペンテコステ派、およびホーリネス系の諸教派であり、リベラルな教派とは、メソジスト教会、聖公会、合同長老教会、そしてルター派教会などである。すなわち、アメリカ合衆国において、60年代まで主流派であり、かつ多数派であったリベラル派諸教会の教勢が退潮し、それに代わって保守的・福音派の諸教派が増進している現状を分析したものであった。その原因として、ケリーはそれぞれの教派の神学的特質から説明している。すなわち、保守的な教会は、その絶対的・排他的な信仰の遵守と生活倫理の厳格主義によって、リベラルな教会は、その宗教的寛容さと神学的多元主義、相対主義が、それぞれの教勢の伸張と減退の背景にあるとした。この指摘が当を得ているかどうかは別として、そのようなアメリカ教会の傾向は、確かに日本の教会にも当てはまるところがあった。事実、「クリスチャン新聞」が創刊された1967年前後から、福音派系諸教派の伸張は目を見張るものがあった。それは日本基督教団の教勢退潮と明らかに対照的であった。
そして70年代の半ば頃から、それまで福音派の教会では御法度? とされていた聖書学的なアプローチ、教会の戦争責任の問題、そしてヤスクニ問題への取り組み等に福音派の教会が熱心に取り組むようになった。「クリスチャン新聞」の80年代、90年代のバックナンバーでその傾向を確認することができるだろう。私自身も様々な現場で「クリスチャン新聞」の取材を受けることが増えてきた。
しかし90年代半ば以降、この国において日本基督教団をはじめとするNCC加盟の諸教派も、福音派系の諸教派も、そしてカトリック教会も含めて、キリスト教界全体が退潮し、教勢不振に喘いでいると見られている。その理由として既に様々な問題が指摘されているが、私自身は、「罪とその赦し」の福音(=贖罪信仰?)が現在の若者たちに容易に伝わっていかないことを実感してきた。
福音派系諸教派の実際への綿密な取材から、「クリスチャン新聞」にこの事態の向こう側への展望を期待したい。
