福岡市の八仙閣本店で3月9日に開かれた日本宣教フォーラム(九州キリスト災害支援センター=九キ災、横田法路理事長=)では、国内外で活動する支援や宣教のリーダーたちが一堂に集い講演した。前回(3月25日号)に続き、横田氏(日本イエス・油山シャロームチャペル牧師)がレポートする。
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前回報告したように、第2部においては「支援の現場から宣教を考える」というテーマで、続いて第3部では、その展開として、「日本におけるホーリスティック(包括的)な宣教の課題と可能性」について、各パネリストによる発題と応答がなされた。
宣教学者の西岡義行氏(東京聖書学院教頭、東京ミッション研究所総主事)は、「宣教の歴史からから見た包括的宣教と災害支援」という基調講演において、まず災害支援においてよく問題となる「社会的奉仕か、伝道か」という宣教学的問いを取り上げ、そのようなカテゴリー思考の限界性を指摘する。カテゴリー思考は、境界線で役割を果たすある基準に照らし、目の前に置かれたものを内側にあるか、外側かを考察することには長けているが、多様な異なる要素がどのように関わり合うかについて、その全体像を捉えることには、不向きであるという。
西岡氏は、それら両者を統合するものとして、カテゴリー思考から物語思考へのシフトを提案する。それはクリストファー・ライト氏が主張し、ローザンヌ運動が取り入れた神学のスタンスでもある。「ローザンヌ運動はそれら二つの領域、すなわち伝道と社会的な関わりを常に統合していこうとしてきました。・・・ローザンヌ運動は、神がこの両方を大切にしておられ、一つに統合しなければならないと考えておられるととらえてきました。この二つを統合するもの、それが福音なのです」(『再生へのリビジョン』42、43頁)
この「物語る」という人格的な存在の「自己開示」を基本とする言葉に関連させて、聖書も、神学も、宣教も捉えなおす必要があることを提言された。

基調講演へのレスポンスとして、聖書学者の岩上敬人氏(クラッシュジャパン副代表)が立たれた。聖書学の視点から、「支援」と「伝道」の統合についての重要なヒントを与えるのは、福音書のイエスと使徒パウロの統合にあるのではないかと述べられた。これまでややもすれば、パウロ神学の枠組みで、福音書のイエスを読んできた傾向があるが、福音書は福音書として読み、その上で両者(さらには、旧約聖書と新約聖書)を統合するような聖書の読み方に変わっていかなくてはならないのではないかという提案がなされた。その一つの具体的な例として、善きサマリヤ人のたとえ(ルカ10章)とパウロの手紙(Ⅱコリント3章18節)が取り上げられた。それぞれのテキストの違いはあるが、善きサマリヤ人の働きが目指していたものも、使徒パウロが見ていたものも、「神のかたち」の回復であったと述べられる。

続いて、牧師の霊的形成の視点から朝岡勝氏(同盟基督・徳丸町キリスト教会牧師)が応答された。阪神・淡路大震災と東日本大震災を通して考えさせられていることは、「ジレンマを抱えること」と「誠実であること」の大切さであった。「伝道か奉仕か」、「それは牧師のすることか」、「所詮お前はよそ者ではないか」、「結局は布教のため?」、「それで何が残ったのか」。そのような声を耳にしてきたが、それら以上に葛藤をもたらしたのは、自分の内側からの声であった。そこで問われているのは、自己陶酔や自己憐憫を越えて、神と隣人に対して誠実であろうとし続けることではないか。霊的形成(霊的な深まり)の途とは、急いでスッキリさせることではなく、ジレンマを抱えながら、走りつつ、悩みつつ、祈りつつ、進んでいくことである、と述べられた。(次号につづく)

