「クリスチャン新聞」創刊50周年…主が記者を起こし続け、導いてくださったことを覚えて、感謝いたします。
神学校卒業後、すぐに開拓に派遣された私は、「クリスチャン新聞」によって、励まされたものでした。地方の小さな町から出ることも少なく、目の前の限られた人数の教会、なかなか進まない宣教の現実に「籠る」危険性がありました。そのような状況に置かれていても、各地で行われた集会の記事を読み、救われた人が起こされていることを知り、喜ぶことができました。
社会情勢に心痛み、祈りを共にしました。何か協力できることはないか、と心探られました。そして、困難の中でなされている主のみわざの証しの記事を読み、主の栄光をほめたたえたものでした。
当時、「クリスチャン新聞」にリレーメッセージのコーナーがあり、そこに載せていただきました。小さな開拓教会を覚えて祈ってもらえる喜びがありました。
「クリスチャン新聞」を通して、世界の諸教会の情報を知ることができます。これは、聖書に見ることができる初代教会の交わりの姿。委託者を派遣し、手紙をやり取りして情報交換していたことに思いを馳せます。マイチャーチ主義に陥らないように、それぞれの教会が置かれている地域を知り、具体的な状況を知り、祈り合うことができますから、今後も期待しています。
それにしても、その情報が「速報」ということならば、インターネットニュースやソーシャルネットワークサービス(SNS)で間に合うでしょう。
でも、「クリスチャン新聞」が必要なのは、主の視座・世界視野・時代のしるしを見る視点から記事が書かれていること。その情報は、教会に影響を与えます。それだけに責任も重いと思います。
これからも、この時代にあって、みことばに堅く立ち、主のみこころを具体的に提唱し、主の栄光を語り告げる『クリスチャン新聞』として、さらに豊かに用いられますように。
