「同性愛」と聖書解釈〈3〉差別を支えた〝創造の秩序〟 識別要する結婚観・家族観
新刊『「同性愛」二つの見解 聖書解釈をめぐる対論』の朝岡勝氏による書評の3回目。 前回 「同性愛」と聖書解釈〈2〉 聖書の規範性と時代的制約 解釈者自身に潜む…
新刊『「同性愛」二つの見解 聖書解釈をめぐる対論』の朝岡勝氏による書評の3回目。 前回 「同性愛」と聖書解釈〈2〉 聖書の規範性と時代的制約 解釈者自身に潜む…
キリスト教史を概観してみると、「唯一にして聖なる公同の使徒的教会を信ず」(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)と告白してきた一方で、古代教会におけるキリスト論論争や三位一体論争、東西教会の大分裂から16世紀宗教改革、そしてプロテスタント教会においては絶えず神学的論争とそれによる教派の分裂や独立が続けられてきました。そこでは絶えず「何が正統的な信仰か」「何が使徒的な信仰か」「何が聖書的な信仰か」が中心的な論点となってきました。論点が信仰の核心に近づくほど論争は熱を帯び、先鋭化し、教会の中に大きな亀裂を生じさせることもありました。事柄が「真理」に関わるものであれば安易な妥協は許されず、徹底的な議論が続けられたのです。プロテスタント教会が信仰義認論を「教会にとって立ちも倒れもする教え」と強調したのもその例と言えるでしょう。