日本CGNTV 豊世牧師、美文さんインタビュー 知らないところで救いの手が

4月14日、熊本・大分などを襲った熊本地震。熊本県上益城郡益城町では震度7の激しい揺れを観測し、市内にあるバイブル・プロテスタント教会熊本東聖書キリスト教会(豊世武士牧師)会堂は全壊。娘の美文さんは風呂場のドアの下敷きになり、5時間後に救助隊によって救出された。その6日後の20日、衛星放送を通じてキリスト教番組を届ける日本CGNTVの取材班は、被害の大きかった益城町へ。制作本部記者の石坂結さんは、美文さんと豊世牧師夫妻にインタビューをし、ニュース番組「CGNフォーカス」で報道した。そのインタビューの一部を紹介する。(写真提供=日本CGNTV)

「私は二度も助けられた」 豊世美文さん

被災したのはお風呂場にいた時だった。「入ろうかなと思った瞬間、大きな音と同時に、訳が分からなくなって、気がついたら脱衣所のドアが斜めに壊れていた。かろうじて隙間があいていて、圧死はまぬがれた状態だけれど、両足はくずせなかった。でも声が出せたし、息が苦しいわけでもなかった。とりあず、『お父さん、お母さん大丈夫?』と言ってお互いに安否を確認し合った。それで、両親とも大丈夫で怪我もないことが分かった。私のほうはドアを開けようとしても開かなかった。でも右手が動き、声も出せたので、両親に『私は大丈夫だから、助けをよこして』と頼んだ。父がいろんな人に声をかけているのが分かった。とりあえず待っていたら、消防車の音が聞こえた。私はその瞬間、熊本全土で大きな地震が起きたのだ、私だけじゃないんだと思って頑張って待っていたら、消防車の音が自分のところに近づいてきたので、とりあえず安心しました」SD.Still002
しかし、何度も余震が襲い、扉が倒れかかり、九死に一生を得たとも言う。「余震が何度も来て、隙間がだんだん狭くなっていった。一回大きな揺れがドーンと来て、壁が目の前に迫り、死ぬかと思った。私の頭の中は『神様! 守ってください』しかなかった。すると、扉が目の前に止まった。圧迫されていたけれど、息もできていた。『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません』(詩篇23・4)を何回も何回も繰り返しました」
やがて、救助隊の「救助に来ています。安心してください」の声が聞こえたと話す。「『私は大丈夫だ。神様が守ってくださる』と思った。救助隊の方が『居場所を知らせてください』と言うので、叫ぶけれど声が出ない。それでドアを叩いていた。救援隊の方が、『今から音を出すからどこがいちばん近いか』と言って、ノックの繰り返しをして、場所を知らせました」
閉じ込められている間、手足にタオルを巻くなど冷静な判断もできたという。「暗くて寒いのもあって、低体温にならないよう身体を温めよう、と。手探りでタオルを取って、手首、足首に巻いた。そういう一つ一つを冷静に判断できたのは、神様が助けてくださる、という確信があったから。怖かったけれど、何も考えられない状況ではなかった。救助隊の『頑張ってください』という励ましの言葉が何回もありました」
ようやく光が見えてきたものの、長時間圧迫されていたこともあり、救助隊とドクターはまず美文さんに点滴を施した。そして、救出され、父から「よく頑張った」と言われた瞬間、「ドーッと涙が出てきました」。
「私は二度助けられた」と美文さんは言う。生まれてすぐ、血液型不適合で全部の血液を交換しないといけなかった。「その時、 教会の方々がみな駆けつけてくださって輸血してくださった」
そして、今回。「私は二度も神様にいのちを与えられた。地震の前は『神様は私のことをどう思われているのだろう、どうされたいのだろう』と思っていたが、想像もできないようなことが起こった。肉体的にも精神的にもきついけれど、神様に委ねながら、自分の体験を伝えることで、神様とのつながりを深めていきたい」

「主よ、主よと叫ぶだけだった」 豊世武士さん

豊世牧師は地震発生の時をこう振り返る。「礼拝の部屋と寝室の部屋の境目のあたりで妻と立ち話をしていた。するとその時、ダーンという感じでエレベーターが落ちてきたような物音が聞こえた。周りが散乱し、東西南北どこも出口が見つからない。電気も消えた。危ない状態だったので、手探りで外に出た。天井が落ちて屋根も落ちて、私たちだけがどうして助かったのか不思議でならなかった。私と妻は大丈夫だと分かったのだけれども、美文がいないのに気づいて、『美文!』と声を出したら、『お父さん、ここにいるよ』と言う声が聞こえてきた。『出られない。動けない』ということで、これは大変だと。レスキュー隊が来るまで1時間以上かかった。幸い、教会前は何台も車が止められる駐車場で、何台もレスキュー隊の車が入れた。一軒家だと車一台入れないので、これは神様のご計画だったと思う。それから救助が始まりました」Toyose
「もう主よ、主よと叫ぶだけだった。私たちが助かったのだから娘も助かると信じた」と豊世牧師。「時間がかかったけれど、美文は助かった。助かって本当に良かった。神様が私たちの知らないところで、救いの手を広げておられることが分かりました」
美文さんがいたのは1階の風呂場だったが、1階からはどこからも入れない状態。それで救助隊は2階の窓から美文さんを担架で運び、つり降ろされた。救助隊員が「大丈夫、助かりました」と言うと、集まっていた何十人もの人々から、拍手と歓声が上がったという。
教会堂は全壊。地震発生後すぐの17日の日曜日は、教会員は自宅で礼拝をもった。「危険な状態だから、教会堂では礼拝できない。信徒一人ひとりに『家庭で礼拝するように』と役員に連絡してもらった。私と何人かは現場にでかけ、支援にかけつけた日本国際飢餓対策機構の方2人と、祈りを捧げることができた。それを礼拝としました」
今後に関しては、「神様が御心を現してくださって、行くべき道を示してくださると確信している」と豊世牧師。「逃れの道が必ずやあるという聖書の約束を信じて進んでいきたい。私も高齢になったが、生かしてくださる間、伝道していきたい」と抱負を語った。
妻のやすこさんは、「娘の顔を見てホッとした。テレビのニュースに皆さんが拍手していた。主人がテレビに出演し、娘が救出される映像が全国放送で何度も流れたので、世界中から『祈っていました』という電話やメールをいただき、元気をもらった。教会のことも私たちのことも、これから徐々に開けていく感じがいたします」と語った。