7月初めに、活発な梅雨前線により、記録的な豪雨が襲った九州北部。福岡県朝倉市、大分県日田市などは川が氾濫し、民家が押し流される、浸水するなどの被害に遭い、今も多くの住民が避難所生活を送っている。熊本・大分地震で被害に遭った人たちを支えてきた九州キリスト災害支援センター(九キ災)の看護師、山中弓子さんは、朝倉市からの要請を受け、災害支援ナースとして現在、朝倉市にある杷木中学校の避難所で奉仕している。
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電話取材に応じてくれたのは、夜10時過ぎ。それまで、避難者の様子をみたり、NP0と行政との会議である九州北部豪雨支援者情報共有会議に参加したりと、1日中駆けずりまわってきた。
「日中の気温は35度を越え、体感温度はそれ以上で、熱中症になる人が多い。感染も心配で、食事や環境衛生に注意し感染しないよう啓発をしています」と山中さん。「災害や避難生活によるストレスと暑さで慢性疾患を抱える方の状態が悪くなっている。食中毒予防のため生野菜を食事で提供することができないことや、トイレ環境、ストレス等によって便秘症状が増えている。しんどそう、夜眠れない、高血圧など、ちょっとした変化に毎日注意を払っている。様々な要因から心筋梗塞、肺梗塞といったエコノミークラス症候群のリスクが高まっているので、気になる方はドクターにつなげています」
今は「小型のマイカーで車中泊の生活」だ。朝倉市での支援が主だが、被害の大きかった大分県日田市の九キ災日田ベースに赴いたり、熊本・大分地震の被災者が生活する仮設住宅団地の住民のケアもあるため、九キ災益城ベースにも戻ったりする。
看護支援ボランティアとして声がかかったのは、これまでの熊本地震被災者支援活動で出会ってきたボランティアや支援団体との関わりが大きい。自身も知り合いの看護師に、朝倉市で看護師ボランティアをと声をかける。
兵庫県神戸市出身。学生時代はYWCAに所属し、子どもたちをよく野外キャンプに連れて行った。もしもの時のために、日赤救急法も修めた。「子どもたちが怪我をした時、自分で救護でき、役に立ちました」
26歳の時に阪神淡路大震災で避難所の救護で支援活動を行なった。その時、黙々と高齢者のバイタルを録り、体を拭き、おむつ交換をしてくれた一人の看護師がいた。「阪神淡路大震災から22年経つけれども、あの時のことは1日も忘れたことがない」と言う。「彼女を見ていたら、震災時に私にもできることがあると思った。それで看護師を目指しました」
同じ頃、半月板の靱帯を痛めるという怪我を負う。この怪我では24時間激痛が走り、4回も手術するという状態で、「日常生活が送れるまで4年かかった。結構つらかった」。05年4月、家から歩いて10分のところで、福知山脱線事故が起きた。この時、「自分に何かできないか」と考えた。
その後、京都市にある日本バプテスト看護専門学校で学んだ。在学中、東日本大震災が発生。「支援活動に行きたかったが看護学校の最終学年の実習生で、学校の先生からは『次に備えなさい』と言われた。結局、東日本大震災の時には行けませんでした」
卒業し、40歳で看護師資格を取った山中さんは、日本バプテスト病院NICU(新生児集中治療室)担当看護師として4年間勤務。16年3月にその病院を辞めて、次の進路を考えていた時に、熊本・大分地震が発生した。「前震の時、ニュース映像を見たら大きな地震だなと。翌日、何かあったら行こうと思っていたら、16日に本震発生。これは行かないと、と思いました」
衛生面だけでもお手伝いできればと準備していたところ、SNSを通じて九キ災が立ち上がったことを知った。「教えてくれた方が日本国際飢餓対策機構の吉田基さんとつないでくれた。受け入れOKとなり、19日早朝いちばんの飛行機で福岡に入り、レンタカーを借りて熊本に向かい、その日のうちに支援ベースだった熊本ハーベストチャーチに到着しました」。「いろんな経験が今、看護師として生きています」。山中さんは、しみじみとそう語った。
