【連載】私の牧会ストーリー② 偉大な戦い 松本雅弘

松本雅弘 クリスチャン・ライフ成長研究会主事
カンバーランド長老教会あさひ教会協力牧師

 「親切であれ。あなたが出会う人はみな偉大な戦いをしているのだから」(アレクサンドリアのフィロン)


 主日の朝、礼拝開始のしばらく前から、講壇近くの席で静まって備えていました。司式の長老が講壇に立つのを合図に前奏が始まり、招詞、頌栄、「罪の告白への招き」と進み、礼拝者各自は沈黙のうちに祈りをささげます。そのタイミングで牧師は静かに講壇中央の主の食卓に移動し、会衆に向かって「赦しの確証」を宣言するのです。会衆は罪赦された喜びのうちに立ち上がり賛美を捧げます。会衆が着席すると牧師は「聖霊の照明を求める祈り」を捧げ、聖書を朗読し、説教を語り始めます。


 ところが、語り始めて少しすると、必ずと言ってよいほどのタイミングで遅刻してくる教会員がいました。こちらからするならば、出鼻をくじかれる経験です。何で遅れて来るのか? 説教に間に合えばいいと思っているのだろうか? そもそも礼拝を、いや神さまのことをどう思っているのか? 説教しながら心の中がザワザワし憤りのような感情が生じてくるのに気づきます(生活の中で私たちの感情は絶えず動いています)。するとその人に当てつけた言葉が、急に思い浮かんでしまう、不思議です。その場を利用し、語ってしまいたくなる衝動と闘いながら、一週間かけて一生懸命、私なりに準備してきた原稿に目を落とし説教を続けるという経験が幾度かありました。牧師ってそうした「器用さ」も要求されるのかもしれません(笑)。


 2022年6月、コロナ禍真っ最中の時期、ニューメキシコ州アルバカーキで行われた教会会議に代議員として参加しました・・・