視野を広げ外から日本を見る機会を 坂井貴美子(元米従軍カメラマン 故・ジョー・オダネル氏の妻、米テネシー州ナッシュビル在住) 「異質」なものとどう向き合う?:排外主義 3人に聞く③

特集「3人に聞く」今回のテーマは「『異質』なものとどう向き合う?:排外主義」。坂井貴美子(元米従軍カメラマン 故・ジョー・オダネル氏の妻、米テネシー州ナッシュビル在住)に聞く。

視野を広げ外から日本を見る機会を

 私がアメリカに渡ったのは1995年でした。振り返るとあっという間の30年ですが、思い返すと、アメリカに来たての頃は右も左もわからずに本当にトラブル続きの毎日でした。のちに夫になるジョーがいたために渡米したのであって、特にこの土地が気に入ったとか興味があったわけではなかったので、なじむまでに時間がかかりました。必要最低限の英語を学ぶのは、ジョーがいてくれたおかげでさほど苦労はしませんでしたが、実際に現地の人々と関わるとなると話は別でした。ちょっとしたアクセントの違いで全く理解してもらえなかったり、相手の英語が早すぎてついていけなかったりと、コミュニケーションをとるのには一苦労しました。
 ジョーはなるべく一緒にいて私を守ってくれていましたが、必ずしも一緒にいられるとは限りません。ある時、ジョーを待ってビルの待合室にいた時のこと。受付の女性に泥棒と間違えられ、危うく警察に通報されそうになりました。幸いジョーが来てくれたので誤解は解けたのですが、なぜ私を泥棒だと思ったのか尋ねると、その女性は悪びれることもなく、私がアジア人だったからと答えました。私にとっては青天の霹靂(へきれき)で、ただ肌の色が違うというだけでこのようなひどい扱いを受けるなんて、私は何という所に来てしまったんだろうと思いました。
 英語の勉強も終了し、地方のコミュニティーカレッジで写真の勉強を始めることになるのですが、そこでも何かと壁にぶつかりました。学校の課題で、街並みや自分の興味のあるものを写真に収める作業があり、意気込んで街に出かけてみるのですが、アジア人の女性が大きなカメラ片手に写真を撮っているのが異様に映るのか、行く先々で写真を撮ることを拒否されました。決して居住地に入ったりすることはなく、距離を保って写真を撮っていたのですが、それでも怪しく思われたのか、怒られることが多々ありました。泣きながら家に帰ったことも何度かあり、そのたびに差別されるつらさをかみしめたものでした。

(次ページで、トランプ大統領就任後の移民政策の影響など、約1000字)