長年超教派や専門分野で福音宣教に貢献してきた第29回日本福音功労賞受賞者たちは、それぞれの働きのルーツと共に、これからの宣教の展望も情熱をもって語った。

長年超教派や専門分野で福音宣教に貢献してきた第29回日本福音功労賞受賞者たちは、それぞれの働きのルーツと共に、これからの宣教の展望も情熱をもって語った。今回はビジネス宣教、千人教会牧会、神戸超教派、文書伝道に従事してきた、市村和夫、大川従道、小平照夫、守部喜雅の四氏が選ばれた。11月4日の顕彰式・祝賀会(日本福音振興会[中島秀一会長]主催、千葉県 市川市、ヤマザキ製パン総合クリエイションセンター)では、顕彰者や関係者らが感謝を述べた。
「日本が世界から注目されている」市村氏

市村氏は、1945年、東京生まれ。上智大学・経済学部経済学科卒。上智大学国際部大学院・インターナショナルビジネス専攻。60年、東久留米市のクリスチャン・アカデミー(CAJ)の、日本人のための英会話教室で、信仰に導かれる。64年、東京オリンピック組織委員会・公認通訳(英語)。68年、ハワード・プレヤ氏(CAJ校長、久留米キリスト教会・牧師)より受洗。
70年、カール・ツアイス(株)・企画室長を辞任し献身。宗教法人・国際ナビゲーター主事として、大学生宣教に従事し、その中から、牧師、伝道師が多く起こされた。80年、ビリーグラハム東京国際大会・カウンセリング委員会・委員長として奉仕。83年、ビリーグラハム世界伝道者会議(アムステルダム)で、同時通訳の奉仕。91年、宣教師としてタイ・バンコクへ派遣された。国際ナビゲーター・東南アジア地区の代表・代理に就任し、国際チームを編成し、未伝地伝道に携わった。93年、公益財団法人・東南アジア文化友好協会・専務理事に就任。
93年、ビジネスリーダー・専門職宣教団体、インターナショナルVIPクラブを創設し、代表役員。現在、世界・約30か国、約160か所の宣教拠点(日本国内:100か所、海外:60か所)で宣教活動を展開中。国会クリスマス晩餐会を都内のホテルで定期的に開催し、国会議員への伝道を継続している。
市村氏はあいさつで、「VIP」を振り返り、「カネボウ薬品(株)元会長の三谷康人さんは、VIPのカギは、目的がはっきりしている、自由であり、参加するとそこに感動がある、と言ってくれた。国際弁護士の佐々木満男さんは、ATT(あかるい、たのしい、ためになる)と評価した」と語った。
現在取り組んでいるのは、2022年から始めた「VIP神の国ネットワーク」。日本の伝統文化の中に生きる神道信者・仏教徒へ、向けた内容だ。「仏教、神道も、実は聖書の影響を受けている。参加している神道信者・仏教徒の方々から聖書を教えてください、と関心を持たれている」と言う。
2025年以降、世界情勢の中で、日本が注目されるという。「米国の大学の規制が強まる中、日本の大学が世界の頭脳を受け入れようとしている。経済面でも米国、欧州が低迷し、中国の先行きが見えない中、日本が安定的に伸びると見られている。人材、頭脳、お金だけでなく、霊的に祝されないといけない。日本がイエスの愛と福音を土台とする国家となり、日本だけでなく、全世界に分かち合うのが、2025年だと期待する」と述べた。
「ネットワークに驚き」渡辺氏 市村氏への祝辞

祝辞では、前日本聖書協会総主事の渡部信氏(グレイスチャペル東京牧師)。「クリスチャン国会議員を支援する祈り会があり、クリスチャンではない方も交えて国会議員と起業家の方々で聖書を学んでいる。国会議員とのパイプをつくったことが、市村さんの大きな働きだった」と評した。ビジネスマンだった市村さんが、宣教師の促しで、国際ナビゲーターの働きに献身した経緯。「VIP」が広がった驚きを述べ、「日本のキリスト教会の風穴を開ける個人伝道の働きであり、ビジネスマン同士の信仰をつないでいる。このようなネットワークをいかに維持しているか驚く。市村さんは穏やかだが、内側に秘めている伝道の熱情がほとばしっている。変わらないイエス様の姿が醸し出されているのだと思う」と語った。
「聖霊に好まれる教会に」大川氏

大川氏は、1942年11月19日、東京都に生まれる。中学2年生のとき、当時高校2年の兄(大川道雄)のメッセージを通して新生経験。同時に献身を決意した。父(大川博道牧師・1997年福音功労賞受賞)によって受洗。
聖学院高校卒業、東京聖書学院卒業後、青山学院大学神学部卒業。尾久教会、亀有数会の伝道師、深川ホーリネス教会の牧師、サンフランシスコ独立教会の牧師。いずれの教会でも若者伝道が広がった。
1970年に帰国し、座間教会に任命される。日曜日に朝4回礼拝しても人があふれ、10年ごとに会堂を建築。1992年大和へ移転した。現在の大和カルバリ―教会は千人収容の会堂、180台収容の駐車場を有している。
牧会で苦しんだとき、『風は己が好むところに吹く』(ヨハネ3・8)の御言葉により、「聖霊様の好まれる教会を建て上げること」へ導かれる。大和カルバリーチャベル主任牧師として、教会就任55年を迎えた。現在まで3,000人を受洗へと導く。またコロナ前において礼拝出席者数は年間平均1,484人、祈祷会561人。また現在、YouTube 登録者数は1万人を越え、全世界にメッセージを配信している。今回の顕彰を記念に『「石の枕」で五十五年』を刊行した。
大川氏は、本功労賞の知らせを受けて号泣したという。「献身したのは中学2年だったので、70年主にお仕えした。苦しみ、試練、迫害、病気で死ぬような目に遭ったり、マイナスはいくつもあるが、全部がプラスになった証しをしたい。個人で受賞したのではなく、教会がいただいたということを教会員にも伝えている」という。
初期の宣教の思い出を語った。「今は千人を超える礼拝を捧げられているが、50人になった時に行き詰まりがあった。周囲の教会をみれば、これ以上は伸びないだろうとも思われた。神様との祈りは自由なので、『神様なぜ、韓国の教会ばかり祝福するのですか。海を渡ってきてください』などとも祈った。その時に示されたのは、『牧師は教会員を裁かない、信徒は牧師を裁かない、平和な仲良しの教会をつくりなさい』ということだった。毎週日曜の夜は、いつも妻と共に、疲れ切り、『あの信徒は』と裁いていた。神様はそれをお裁きになった。聖霊に好まれないことはやったら絶対にだめだと決心し、次の日曜日に『私は皆さんを裁いていました、許してください』と信徒の前に頭を下げた。『聖霊に好まれる教会をつくろうと決心し、じゃんじゃん奇跡が起こり、今日があります」
日本宣教のビジョンも語った。「韓国のチョ・ヨンギ牧師は、『小さなビジョンは、ビジョンと言えない』とチャレンジしてくれた。努力して知恵をつくしてできる小さなビジョンは、ビジョンとは言えない。持てないほどの大きな夢をもてば、神様助けてくださいとなる、と。今回のあいさつのために祈る中で、ローマ8章31節が与えられた。この聖句にある『誰が私たちに敵対できるでしょう』の信仰で、私はこの歳だが、もう一発伝道したいと思っている。私の父も70歳で、開拓伝道を始めた。イエス様がついてきなさいという。兄弟姉妹、絶対に日本に大リバイバルが起こるように挑戦しましょう」と励ました。
「出会うすべての人に霊的な影響」倉知氏 大川氏への祝辞

祝辞では、瀬戸カルバリーチャペル担当牧師、大和カルバリ―チャペル副牧師の倉知契氏は、大川氏の働きを振り返り、「出会うすべての人に霊的な影響を与える刺激的な方」と表現した。「そばにいると何か振るい立たされる。聖霊による感動と勇気を与えられる。聖霊様の良き通り管として用いられておられる。私も16歳で初めて大和カルバリ―チャペルに来て、最初の礼拝で何だか分からないが、しびれる経験をした。多くの人が癒やしや奇跡を体験した。御言葉の解釈も鋭く、個人、教会を超えて、キリスト教会全体に影響を与えている。神学的熟考を重ねながらも、いつも『13歳、11月6日』に救われた喜び、救霊の情熱にあふれる牧師、伝道者、一人の礼拝者です」
また献身者としての姿も伝えた。「毎週ひざまずいて、毎週牧師室でひれ伏して、メッセージを備え続けてくださった、その御言葉によって、今の私が形作られていることを感謝したい。朝早く祈り、夜遅く祈りの散歩をし、ストイックに時間と健康、管理し、福音を語らずにはいられないという生き方を見せていただいた」と述べた。
「すべての地域教会は一つのからだ」小平氏

小平照夫氏は1926年、長野県に生まれ。妻邦子氏とともに、1958年に基督兄弟団の任命で西宮における開拓伝道を始めた。「阪神間において燃えて輝く教会」とのビジョンのもとで、開拓当初より近隣諸教会と宣教協力の働きを進め、高橋文蔵(日本基督教団尼崎竹谷教会)、吉田源治郎(同甲子園二葉教会)、芹野俊郎(同甲東教会)、和田寿惠松(オープンバイブル甲子園教会)、百元好雄(キリスト改革派芦屋教会)などの各牧師との数年間の交わりと準備を経て、1970年5月に「阪神宣教祈祷会」を発足した。
以来、55年間にわたり、毎月一回行われる定例の祈祷会を軸に、青年、壮年、女性の各集い、そして阪神クリスマス・フェスティバルを開催して阪神間の宣教の働きを進めてきた。「会長や委員長という立場を置かないことによって、年長者も若い牧師も、互いの教団教派を超えて、ともに阪神地域に遣わされた一つの神の家族として主に仕えている」という。現在、例会には毎回二十数人の牧師たちが集まっている。
30年前の1995年1月に起こった阪神淡路大震災においては、阪神宣教祈祷会を母体として「阪神大震災復興ミニストリー」が立ち上がり、ワールドビジョン、国際飢餓対策機構(ハンガーゼロ)、日本福音同盟などの現地事務所がおかれ、被災地域の教会の復興とともに歩んだ。「この活動は現在のキリスト教会の災害支援の働きの先駆的働きとなった。日頃の宜教協力の賜物であることを感謝している」と照夫氏は書面で述べた。
顕彰式当日は照夫氏の代理で息子の牧生氏が来席、また照夫氏が「阪神宣教祈祷会」の受賞を願ったことから、特別に同祈祷会も副賞を受賞した。
牧生氏は「父のこれまでの歩みの中で何らかのことがあったとすれば、それは阪神宣教祈祷会の発足に携わらせていただき、長くその交わりの中にあり続けたことだと思う。現在では各地に教団教派を超えた宣教協力会があるが、阪神宣教祈祷会は、その先駆けの一つ。発足時は、大阪万博の年で、非常に福音宣教が難しい時だった。その中で福音をすべての人に伝え、すべての教団教派の教会が力強く成長していくことを願いながら今日まで続いてき、リーダーシップを次の世代に円滑に交代している」と話した。
「阪神宣教祈祷会は、会長や委員長のような立場をこれまで置いていない。そのような意味で父は個人としての受賞はふさわしくないと考えていたようだ。福音功労賞の規約上は、個人が対象であるということで、今回のような形にしていただいた。父は、すべての地域教会がキリストの一つのからだであり、その具体化が、わたしたちの日々の姿に表されていくと話していた。息子である私もまた、私たちの教会もその理念を受け継いで、宣教協力のために仕えている」と語った。
「教会の垣根こえ孤独ではなかった」副賞 阪神宣教祈祷会 大橋氏

祝賀会では、阪神宣教祈祷会を代表して大橋秀夫氏(クライストコミュニティ顧問)が話した。「阪神宣教祈祷会が発足した翌年に、開拓伝道で、関西に来た。東京生まれ、東京育ちなものですから、関西は全く初めてだった。そんな何も知らない若者を、阪神宣教祈祷会が迎え入れてくださった。どんなに勇気づけられたか。これがなければ孤独だった」と感謝する。
牧師となる前には、キリスト者学生会で各地の教会を巡回していた感じた課題を述べた。「先生方が本当に苦労しておられる姿を見るにつけて、これでいいのかという思いを強くした。『私のような者はここで終わるのだ』『都会の教会に呼ばれることはもうあり得ない』という言葉も聞いた。地域にいくつも教会があるが、教団教派の壁をこえることができない。それは地方の牧師を孤独にしているということを感じました」「リバイバルをという元気のいい声を聞き、一緒に祈りながらも、他方で一教会主義を目指しているように思えてならなかった。何か開催するために地域教会が協力するということはあるだろうが、それを超えて、阪神宣教祈祷会では、祈るためだけに集まり続けた。何か集会を開催するときは、別組織をつくり、それに参加してもよいし、しなくてもよい、という自由な集まりとなった。その中で、阪神淡路大震災の時にも一致して取り組むことができた。教会間の垣根をこえて、福音を伝えるために一致するということが、どんなに大切かと思う。それをリードしてくださった先輩方に感謝します」
「見た者は語らないでいられない」守部氏

守部氏は1940年、中国・上海市生まれ。5歳で大分県別府市に引き揚げた。
慶應義塾大学商学部に入学し、59年に、東京クリスチャン・クルセードに参加、ポブ・ピアス氏(ワールド・ビジョン)のメッセージを聞き求道、同年のクリスマスに日本基督教団新宿西教会にて、岡田実牧師の司式で受洗した。大学時代に、福音キリスト者学生会で伝道活動。62年に慶應義塾大学卒業後、二年間、桑沢デザイン研究所でデザインを研修、65年にいのちのことば社入社。67年に、「クリスチャン新聞」創刊にあたり整理部長として活動、77年から97年まで、「クリスチャン新聞」編集部長。99年から 2004年まで月刊「百万人の福音」編集長。現在、いのちのことば社理事、クリスチャン新開編集顧問。
09年、47都道府県の宣教事始めをまとめた『日本宜教の夜明け』をいのちのことば社から発行。翌年、聖書の影響を受けた幕末のサムライの証しをまとめた『聖書を読んだサムライたち』を発行、以降、そのシリーズとし『勝海舟最期の告白』『龍馬の夢』『サムライウーマン新島八重』『西郷隆盛と聖書』、戦国大名のキリシタン大名の証しをまとめた『天を想う生涯』『ザビエルと天皇』『明智光秀と細川ガラシャ』などを出した。
1975 年にマニラで開かれた中国宣教の国際会議を取材、それをきっかけに、中国の家の教会へ聖書や信仰書を届ける働きに参加、記者として、中国各地の家の教会を取材、迫害の中で前進し、急成長しているその実態を知らせるべく、各地の教会で報告会を行っている。
守部氏は、挨拶冒頭で、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」について触れた。「小泉八雲は非常にキリスト教嫌いだった。厳格なキリスト教の家庭に生まれ、反発で日本の文化に引かれたようだ。しかし、今回のドラマの主人公のモデルの奥さんのときさんは、八雲の死後、1925年に私の所属する新宿西教会の礼拝にきて、子どもたちも熱心なクリスチャンとなったという記録が残っている。私たちは、歴史の中で、本当に神が働かれるということを心から感謝したい」と話した。
クリスチャン新聞創刊時の思い出も語り、「創刊には、各部長たちは反対したが、当時の会長のマクビティ先生だけが『福音はグッドニュースであり、そのグッドニュースを毎週届けるのが大きな使命なのだ』と強調しており、これは大きなインパクトだった」と振り返った
「聖書を読んだサムライ」シリーズについては、「資料を集めるうちにびっくりした。幕末の良く知られた、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛が、聖書の精神に影響を受けていました」。当初売れ行きは伸びなかったが、プロゴルファーの中島常幸氏がテレビで紹介して以来、反響を呼んだ。
今後について、中国の教会に思いを向けて話した。「中国の中では、初代教会のような証しがたくさんある。それを見てしまったので、語らないわけにはいかない。伝道師はおらず多くが信徒。みな黙って集会室に入り、ひざまずいて祈っていた。これからもそのような姿を紹介したい」と述べた。
「徹底した現場主義」根田氏 守部氏への祝辞

祝辞には、根田祥一氏(クリスチャン新聞顧問)が立った。まず同功労賞発足の時代を振り返り、「大衆伝道者の本田弘慈氏に贈呈する予定だった集会の余剰金を、本田氏が断わり、人知れずイエス様のために働く先生方を顕彰するために使ってほしいと提案したことを受け、始まった。わたしは、クリスチャン新聞記者として、この会の設立を取材し、功労賞を受ける方々とも、様々な場で交わりをいただいた」と話した。
「クリスチャン新聞記者としての源流、動機づけをいただいたのが今回受賞された守部さんだった。1980年にアルバイトから入社し、購読課をへて、編集部に配属された時の編集長が守部さんだった。記事の書き方や取材の仕方を教えてくれたことはなかったが、オフィスのデスクに座ってちゃだめだということを何回も教えてくれた。人に会いに行きなさい、出て行きなさい。とにかく、いろんなところへ出かけて行って、取材をしなさい、そこからら得るものが必ずある、と。その言葉に従って、いろんなところに出かけ、先生方と知り合いにならせてもらい、たくさんのことを教えてもらった。それは徹底した現場主義だった。その背後には、日中国交回復直後に中国に行ってみてきたことがある。どこのメディアも伝えていない、中国の地下教会のことが連載で書かれていた。私も入社前から一読者としてワクワクして読んでいた。日本福音同盟や日本キリスト教協議会にも取材をする。それだけではなく、『実際どうなっているの』と話を聞いてきた」
もう一つ守部氏から教えられたこととして「教えられやすくなりなさい」ということを挙げた。「私は非常に鼻っ柱の強い、生意気な若造で、『自分の方が知っている』となかなか先輩のいうことをきかないような男だったが、守部さんは放し飼いにしてくれた。私がいろんなところで叩かれたりして、その後始末をしてくれたのが守部さんだったが、話し合いの中で『人の言うことに教えられやすくなりなさい』と教わった。今でもそれは途上だが、様々な人の話を素直に受け取り、それを糧に新聞をつくっていくということができるようになったと思う」と話した。
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