命に向き合う働きが注目されています。本紙『福音版 聖書をいつも生活に』連載「小さな命の帰る家 松原宏樹」の第一回(2025年4月号)を特別に公開します。
第一回 いつもいっしょにいる

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私には忘れられない大きな出会いがあります。
十五年ほど前、テレビでは連日子どもの虐待が報じられていました。シングルマザーの母親が、一歳と三歳の子どもを家に残して、彼氏のもとへ一か月ほど行きました。帰ってくると、当然二人の子どもは死んでいます。二人の幼い子が絶命するときに最後に口に入れたであろう胃の内容物が紹介されていました。「マヨネーズとダンボール」。飢えをしのごうとしたのです。衝撃的でした。
当時教会の牧師をしていた私は、心がちぎれてしまいそうなほどの痛みを覚えました。一番腹立たしかったのは、毎週講壇から神の愛と恵みを語りながら、その愛と恵みに生きていない頭ばかりの信仰をしている自分自身に対してでした。言葉だけで何もしていない自分にとことん愛想が尽きる思いでした。
また、シングルの父親が幼い子どもを一人残して家を出る事件もありました。家の鍵を外からかける時、中にいる子どもが「お父さん、お父さん」と泣きながら叫んでいたそうです。もちろんこの子も死にました。
子どもの命を守るはずの親が、自分の務めを放棄した結果、幼い命はいとも簡単に失われていきます。だからと言って、私は、この二人を責める気持ちにはなりませんでした。ただただ、牧師でありながら何もしてこなかった自分を責めるのみでした。
私は、子どもたちの命を実際に救いたいと思うようになりました。神は祈りを聞いてくださる、子どもの命を救ってくださる。そう考えて、「小さな命の帰る家」を設立しました。六歳のやまとは、障がいのゆえにお父さんお母さんに育ててもらえませんでした。四歳のえまは、難病と障がいがあり、病院に置き去りにされました。二人を引き取り、養子縁組をして自分の子どもとして育てています。
やまとはダウン症に加えて、心臓に大きな穴がある房室中核欠損、発達障がい、睡眠障がいがあります。六歳ですが、発達検査では一歳一か月です。発語もありませんし、歩くのも立つのも座るのも不自由です。排尿排便も難があり、毎日浣腸(かんちょう)をします。一日のスケジュールが狂ったり、知らない人がたくさんいたりするとパニックを起こします。それでも、この四月から養護学校の一年生です。
重度身体障がいで医療ケアの必要なえまは、難病のウエスト症候群のため、てんかん発作が度々出ます。その兆候が出ると、早めに座薬を入れてあげます。水頭症でシャント手術を行ったため、度々大きな病院で脳圧の測定が必要です。今年の一月は脳圧を少し下げました。口から食事ができないため、水分補給と栄養剤を胃ろうから注入します。二百㏄を一日三回、一時間をかけてゆっくり胃の中へ流し込みます。四歳ですが首がすわらないので寝たきり状態です。肺も弱く人工呼吸器を二十四時間つけています。
この子たちを引き取る時、親や福祉や行政からも見放され、教会にすら居場所のない子どものそばにいる人間こそ、牧師ではないのか、と考えました。えまは昨年、重症の肺炎のために三回救急車に乗りましたが、いつも私が付き添いました。やまとがマイコプラズマ肺炎で十五日間入院したときは、二十四時間そばについていました。付き添い入院のしんどさは、誰よりも理解できます。
「インマヌエル」。“主(神)が共にいて下さる”という意味の、この言葉の重さ深さを、ほんの少し体験させていただいている毎日です。
本連載は、クリスチャン新聞『福音版 聖書をいつも生活に』で掲載中です バックナンバーはこちら
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