宗教法人について考える
河野 優(石神井福音教会協力教師、前日本同盟基督教団法人事務主事)
ある求道者が未信者の両親に受洗の報告をした。両親は心配して教会の所在する役所に問い合わせたところ、役所の担当者から「その教会は宗教法人として登記されているので大丈夫だろう」と告げられ、安心した。――これは私が実際に聞いた話である。ご両親が安心できたことは喜ばしいことである。しかし、安心の理由が公的機関による発言や宗教法人として登記されていることであったという事実を、素直に喜んでよいのだろうか。
最近ニュースで毎日のように耳にする旧統一協会(世界平和統一家庭連合)も宗教法人である。地下鉄サリン事件をはじめ、多くの凶悪事件を引き起こしたオウム真理教もまた、かつて宗教法人であった。法人登記の有無は団体の存在証明にはなっても、安心証明にはならないだろう。そもそも、法人の有無にかかわらず宗教活動は可能であるのに、法人をもつことにどのような意味があるのだろうか。
どのように理解し、位置づけ、用いているか

宗教法人法第1条によれば、宗教法人の目的は礼拝施設等の財産所有と維持運用のため、宗教団体の目的達成に資するために、法律上の能力を与えることにある。したがって、教会が宗教法人をもつ意味は、「教会の目的たる福音宣教をたすけるものとして、教会が法律上の能力を取得すること」にある。この法律上の能力によって、教会施設の不動産登記を教会(法人)名義で行ったり、任意団体ではできない手続きや契約を法人で行ったりできるようになるので、それによって宣教が進むのであれば法人をもつ意味はそこにあると言える。
教会が宗教法人を設立するためには、宗教法人法に則った規則を作成し、所轄庁の「認証」を受け、設立登記をする必要がある。この場合における「認証」とは、教会が宗教法人法の規定する宗教団体であり、定められた規則や手続きが法令に適合していることを公の権威をもって確認することである。宗教法人制度は、国が宗教団体の存在の正当性や妥当性を評価したり、お墨付きを与えたりするものではなく、法人格の有無で教会の運営に優劣がつけられるものでもない。
そうであるにもかかわらず、一般的に宗教法人は行政がその宗教団体に一定のお墨付きを与える、宗教活動の特別な免許を与えるかのように思われている節がある。認証制度であるはずの宗教法人が、しばしば「認可」と言い間違いをされるのも、そのような印象によるのではないかと感じる。冒頭の出来事もまた、典型的な事例と言えるだろう。
教会内においては、法人をとると教会が国家の管理下に置かれるという声を聞くことがある。たしかに法人としては法令による行政との一定のかかわりが生じるが、決して管理下に置かれるわけではない。また、宗教法人法はあくまで教会の財産管理運営に関わる事務(世俗の事務という)にのみかかわるもので、宗教上の事柄には触れることはできない。宗教法人は教会の財産管理部門を法人化したもので、「教会=宗教法人」ではないことを明確に意識し、教会と宗教法人を区別しつつ一体的に考えることが必要である。この点については次回、教会の規則と宗教法人規則について考えることで確認したいと思う。
宗教法人や宗教団体への否定的な言動が増えている中にあって、教会が自律的に管理運営できているかどうかは切実な問題である。すでに宗教法人をもつ教会にあっては特に、教会における宗教法人の位置づけや運営の実態を改めて見つめ直すことが必要であろう。宗教法人の運営を適切に行うためには、宗教法人法をはじめ関連する法律やしくみについての基本的な理解も必須である。それを聖書に基づいて行う教会全体の運営にどのように組み入れていくのか、知恵が必要である。
教会が宗教法人をどのように理解し、位置づけ、用いているか。このことは教会実務が神と人の前にふさわしくなされるために、重要な事柄を問うものである。

《連載》教会実務を考える