「関東大震災ジェノサイド100年」 虐殺許さない人道の防波堤を
宗教者平和ネット院内集会で金性済氏
100年前の関東大震災時に起きてしまった朝鮮人虐殺事件と、その証拠隠滅に対する二重の国家責任放棄が、今の日本社会に何をもたらしているのか? 平和をつくり出す宗教者ネット主催の院内集会が9月21日、東京・千代田区永田町の参議院第2議員会館会議室で開かれた。金性済(キム・ソンジェ)氏が「関東大震災ジェノサイド100年~ジェノサイドもヘイトもゆるさない人道の堤防を築こう~」と題して講演した。【中田 朗】
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最初に1923年9月1日に何が起きていたのかについて語った。「地震発生後の午後には赤池濃警視総監、後藤文夫内務省警保局長が水野錬太郎内務大臣へ戒厳令施行を提案し、翌日、摂政裕仁が戒厳令を裁可。敵としての〝不逞(ふてい)鮮人〟討伐へのお墨付きを得て、〝朝鮮人暴動〟の事実確認もないまま、東京・関東に居住し働く朝鮮人への虐殺が広がっていった」
「だが、3日目あたりから、朝鮮人が暴動を起こしたという形跡が全く見当たらないということが分かってきた。5日に山本権兵衛総理から『内閣告諭』が出されるが、第2号では、一部不逞鮮人の暴動があるが、全てではない、こんなことが諸外国に知れたら大変なことになる、だからほどほどに、といった内容。19日から10月末まで自警団の虐殺加担者が検挙されたが、司法省は9月11日の臨時震災救護事務局警備部司法委員会の方針に従い、⑴朝鮮人犯罪を既成事実とすること、⑵自警団員の全員検挙を放棄すること、とした。そして、自警団裁判の実刑被告の多くは翌年1月26日の皇太子の結婚の際、恩赦を受けた。つまり、虐殺に対する司法の正義は最初から放棄する建前上の裁判だった。しかも、流言飛語を拡散させ、朝鮮人虐殺を引き起こした内務省、軍、官憲は、むしろその〝沈静化に努めた〟という立場にすり替わっていた」
「誰も責任を取らないという無責任循環の仕組みに、関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任ものみこまれている、、、、
(2023年10月08日号02面掲載記事)