「創造的な少数者」として宗教を問わず連帯を 沖縄・2.11集会で原氏

2月11日、沖縄・信教の自由委員会主催による「26年信教の自由祈祷会」が、那覇バプテスト教会を会場に、オンライン併用で開催された。同志社大学神学部名誉教授で日本基督教団高崎南教会牧師の原誠氏が、「歴史をふまえて・わたしたちの今」の題で講演。戦前・戦後のキリスト教会の歴史を通して、信教の自由、政教分離について語った。以下、講演要旨。

―戦中の宗教弾圧の根底には、明治国家の宗教政策があった。廃仏毀釈で神仏分離を進め、「神社は宗教ではなく国民道徳」と位置づけて国家神道を形成した。大日本帝国憲法は「安寧秩序を妨げず、臣民たるの義務に背かざる限り」という条件付きでしか信教の自由を認めず、国家神道の大きな傘の下で他宗教を「許容」したにすぎなかった。

宗教団体法は、そのような枠組みの中で制定され、プロテスタント諸教派は1941年に日本基督教団として統合された。教団トップである「統理者」が伊勢神宮に参拝して教団成立を報告し、各教会では礼拝の冒頭に「国民儀礼」として皇居遥拝と君が代斉唱を行うようになった。教会員の献金で戦闘機を陸海軍に献納し、さらに、東南アジアなど「大東亜共栄圏」のキリスト教会にあてて、「日本のキリスト教は植民地主義の影響を受けていない兄であり、解放のため共に戦おう」と呼びかける書簡を送るなど、戦争協力を行った。

原誠氏

敗戦後、宗教団体法は治安維持法とともにGHQの人権政策の一環として即時廃止されたが、教団の統理者が出した「令達」では、敗戦に至ったのは、我々キリスト教徒も含めて、天皇への忠誠が足りなかったからという「反省懺悔」が公式に示された。

沖縄に関していえば、戦時中の日本基督教団において、沖縄は九州教区沖縄支教区だったが、米軍の統治に置かれてから、九州教区沖縄支教区はなくなった。にもかかわらず、なくなったことについて九州教区の翌年の総会で報告もされなかった。これがその時代の教会の姿だった。・・・

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