
今、日本という地に建てられたキリスト教学校はどのような状況に置かれているのだろうか。昨年8月、全国キリスト教学校人権教育研究協議会(全キリ)総会で採択された七つの要望書(日本キリスト教協議会[NCC]教育部も一部連名)がそれを端的に説明していると思うので、以下に表題を紹介する。本書で直接触れられているわけではないが、刊行の社会的背景を教えてくれるからである。
各要望書のタイトルは「学校における国旗・国歌の強制をやめてください」、「道徳教育の『教科化』に対し重ねて反対を表明し、撤回を強く求めます」、「横浜市と藤沢市は、教育現場の声を無視した『全市一括採択方式』を改めてください。ひき続き、育鵬社改訂版『新編新しい日本の歴史・公民』は採択しないでください。アジアの一員としてふさわしい歴史認識が得られる歴史教科書を採択してください」、「令和書籍『国史教科書』の検定合格に抗議し、撤回を求めます」、「『高等学校就学支援金』の朝鮮高校への即時支給と『幼保無償化』の朝鮮幼稚園への適用、また『3・29通知』を撤回して朝鮮学園への補助金支給を再開することを求める要請書」、「沖縄に対する差別政策を改め、平和のために働いてください」、「原発再稼働、新設をやめ、原発を廃止することを求める要請書」だ。
文部科学大臣や関係諸機関の長などに宛てて発信されたこれらの要望書からわかることは、次の5点である。①今、日本の教育政策が、子どもたちの中に天皇中心の国家意識と愛国心を植え付けようとする方向で進められていること、②その背景には戦争を見据えた軍備増強と核保有につながる原発推進政策があること、③推進にあたっては日本社会に巣くう差別の構造が利用されていること、④このような状況に対してキリスト教学校の教職員を中心に抗議の声をあげている人々がいること、⑤それらの人々は、キリスト教学校教育とは一人ひとりの子どものいのちを支える営みであって、国家のためにいのちをささげる教育とは相いれないと考えていること。
この度、教文館から出版された本書を読んで、上に述べたような全キリの抵抗の姿勢は、日本のキリスト教諸学校がそれぞれの創立時から直面してきた「宗教的存在である天皇を中心とした国体思想」との闘いの延長線上にあり、戦時下の日本で「国家の伝統思想の影響をぎりぎりのところで相対化した数少ない事例」に連なるものであること、したがって、その方向性は間違っていないことを教えられ、大変励まされた。
とりわけ戦前であれ戦後であれ、「国家が圧力を加えてきたとき、教育機関やその責任者は従属せざるを得なかった」という歴史を振り返るとき、自由な意思を持つ個人の働きの大きさに思い至る。本書では、「愛国教育」に対峙(たいじ)する概念として「人格教育」が注目されているが、それを可能にするのは国家の政策を相対化し、生徒や学生との人格的出会いを深めていく教職員ひとりひとりであろう。全キリのようなボランタリーな団体や、NCC教育部のような学校組織外の団体にも、学校と連帯してできることがあると思わされた。
日本敗戦と植民地解放から80年のこの年に、五人の執筆者(執筆順に森島豊、島薗進、島田由紀、伊藤悟、長山道)それぞれの専門による論考が、キリスト教学校教育に新たな地平をひらくために青山学院大学総合研究所叢書として刊行されたことを喜びたい。
評・大嶋果織=日本キリスト教協議会(NCC)教育部総主事代行、NCC総幹事
(2025年05月04日号 04面掲載記事)
