神と天皇にどっちつかずに仕えた教会 連載 教会の土台を〝共に〟考える③ 

 

戦後80年特別連載 教会の土台を〝共に〟考える③

戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では、日本キリスト教史を専門とする山口氏が戦中の教会を考える上での重要テーマを解説し、次世代のクリスチャンが応答する。連載第三回目(毎月1回掲載します)

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政治利用されることを知りながら「伝道の好機」と喜んだ 教会の土台を〝共に〟考える②国体との協調~三教会同~ 
戦後80年特別連載 教会の土台を〝共に〟考える② 戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では…
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 ③天皇崇拝と神社参拝 ~神社非宗教論~

山口陽一 東京基督教大学特任教授

明治政府は、祭政一致をめざして神祇官を設置、1871年には官幣社国幣社制度を再興した。神社は最初から「信教の自由」の妨げだった。

1900年、政府は内務省社寺局を神社局と宗教局に分け、13年には宗教を文部省の所轄、神社は内務省と分けて制度を整える。こうした神社非宗教政策に対し、かねてから警戒を強めていた日本基督教会札幌基督教会(現・北一条教会)の牧師小野村林蔵は『神社に対する疑義』(25年)において断言する。

政府当局者は神社は宗教で無いと主張する。そして神社局と宗教局との官制上の区別を指示して、神社が宗教でない絶好の証拠であるかのやうに言ふ。併し斯んな申訳には私は断じて承服し得ない・・・

応答 宗教的地域行事に接して  髙木創(福音伝道・沼田キリスト教会牧師)

神社非宗教論を巡る一連の史実とその評価は、私の日常に直接的に結びつく。我が家には二人の子どもがいるが、保育(幼稚)園の行事に時々宗教的なものが顔を出す。七五三の神社訪問及び拝礼、運動会のお神輿(山車)担ぎ、花祭りで甘茶を仏像に注ぐ、などである。見れば山車には園児達の笑顔の写真が貼られ、実際の神社と結びついているわけではない・・・

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