PKゆえの特殊な扱い 教会に居られなくなる場合も 【特集フォーカス・オン】うちの親、牧師です②


【特集フォーカス・オン】うちの親、牧師です②
牧師の子としてではなく、一人の信徒でいたい

 特集フォーカス・オン「うちの親、牧師です」のために本紙は今夏、アンケート調査を実施。超教派、老若男女のPK(牧師の子ども)から、切実な声が寄せられた。
 前回第1回(10月19日号)では、アンケート前半の設問から全体の傾向を分析。Q8(奉仕や役割はあるか、それは教会で認知されているか)からは、PKの担う奉仕が多い傾向、それが本人の信仰や意志から出るものとは言い難い情況が見えた。Q9(奉仕することが当たり前のように期待された経験はあるか、それは進路決定に影響しているか)では、その情況に継続性が見られるケースも垣間見える。
 今回取り上げるQ10、Q12にも、同様の体験談が寄せられた。そして、上記「マッシュポテト」の記事にあるような、若いPKたちの声と符合するところもあった。

■PKゆえに取り上げられる
 大人も子どもも大勢いる教会学校の場で、喜びのクリスマスの時間に、楽しみを取り上げられる……このような悲しい体験談が、残念ながら複数寄せられた。幼少時の経験というものは長く記憶に残り、後年の行動を左右もするだろう。上記事のように食事で遠慮する習慣も、それぞれ理由はあろうが、このような経験から来ている場合も、もしかするとあるかもしれない。
 PKか否かに関わらず、幼少時の教会の記憶は幸いなものであってほしい。そのように子どもが育つことは、教会にとっても祝福ではなかろうか。

■〝大人〟でいること求められ
 PKは他の同年代の子どもよりも、人格的、信仰的な成熟を求められる傾向がありそうだ、、、、、

(次ページで、信仰継承やPKのアイデンティティーについてや、アンケートの回答結果)