セルフ・コンパッション
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(ルカ10・27)
木原 活信 同志社大学社会学部教授
リストカット(自分の手首などをカッターなどで切って出血させる自傷行為)を常習しているある女子学生は、「自分を傷つけることで、血を見れば、こんなダメな自分を罰してやった気持ちになって、……罰が与えられて当然……なんかスッとする」と語った。また別の学生は、「それをやっているときだけ生きている感じがする…変ですが、なにか〝快感〟みたいで…やめられない」という。共通するのは自分への嫌悪感である。憎悪といってもいい。これは特殊な現象なのだろうか。
統計では、若者の10~15%がリストカットなどの自傷行為を経験しているという。真面目で優秀な学生たちの中にも、リストカットは別としても自分を大切にできず、自分への嫌悪感を表明する学生、特にそれは女子に多い。統計的に見ても、日本の若い女性に圧倒的にリストカットや摂食障害が多いことが示されている。
国際間の比較調査でも、日本の若者のセルフイメージが極端に低いことが問題視されている。2023年6月に国立青少年教育振興機構が発表した日米中韓4か国の高校生の意識調査では、「自分はダメな人間だと思うことがある」との回答は、日本は78・6%で、他の3か国の48・8~60・5%と比べて極めて高い。総務省の日本と諸外国の若者の意識に関する調査もほぼ同様の結果となり、政府(文科省)を動揺させた。これらから分かることは、ありのままの自分自身を受け入れられない若者が増えているということである。先の女子学生のように「自分が赦せない」と表現する人も少なくない。むろん若い女性だけではなく、現代の日本人全体に共通する意識、課題かもしれない。
このシリーズでは、他者の苦しみや痛みへの共感共苦(コンパッション)の大切さについて繰り返し述べてきた。ところで、近年、クリスティン・ネフ(Kri
stin Neff)により提唱されたセルフ・コンパッション(self
-compassion)が心理学で話題になっている。直訳すると「自分への慈しみ(思いやり)」となるが、仏教の慈悲とも関連させて、自己への気づきを通して「あるがまま」を受け入れることができるように訓練するための実践方法を生み出すなど、様々な臨床分野で浸透し始めている。 これらの理論に頼らずとも、実は聖書は元から「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(ルカ10・27)と明確に教えている。ところが、残念なことに多くの場合「自分自身のように」という言葉を略してしまう傾向がある。そして「あなたの隣人を愛しなさい」とそれを律法的命令として受けとめてしまっている。しかし正確に聖書を読むなら、「自分自身を愛する」という前提をもって隣人愛を教えている。「いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません」(エペソ5・29)と指摘している通り、自分を愛することを前提としているのである。むろん、自分自身を愛するといっても、聖書全体は他者を顧みない自己中心的な自己愛を否定していることは言うまでもない。
崩れつつある隣人愛の前提―健全な自己愛
本田哲郎神父は、「愛する」を「大切にする」と訳した。つまり「自分を愛する」とは「自分を大切にする」ことであり、その前提に立って他者を愛(大切に)しなさいということになる。しかし敢えて今、それを取りあげたのは、その当然である前提が崩れてきているからである。冒頭で述べた日本の若者の自尊心の低さ、そして日本の若い女性に多いリストカットや摂食障害などは、いずれもこのセルフイメージの低さが根底にある。これらの日本の若者の苦悩と危機的状況を考えると、セルフ・コンパッションの課題を「自分自身を愛する(大切にする)ようにあなたの隣人を愛せよ(大切にせよ)」という真意に照らして熟考することが重要なのであろう。
