引いてこられた町で、地境を広げる 碧南聖書教会

碧南聖書教会の会堂

碧南市はまるで島だ。愛知県唯一の汽水湖・油ヶ淵、衣浦港、三河湾、矢作川と四方が全て水に囲まれている。トヨタの工場が近い土地柄、34か国の人がその中で暮らす。「小中高と各クラスに2、3人ずつは外国の方がいるのでは」と語るのは菊池充さん、紹子さん夫妻。様々な宗教が混在し、寺や神社も密集しているという。「てらまち」と呼ばれる地域では、徳川家康が生まれた際、幼名「竹千代」を命名した称名寺をはじめ10数のお寺が固まる。

1999年に東京から派遣された菊池さん夫妻は、この地域の特殊さに驚かされた。「集団登校も町内会も神社を元に区割りがされていて、人々が生きるベースになっている。神社をどう守るか、子どもたちにどう信仰継承するか、というお付き合いも盛ん。厄除けも必ず行っていて、『大厄』を迎えるとされる42歳の男性には、できる限りお金を積み立てて、100万、200万単位で納める方もいるんです」。そうした地域に置かれた教会として、教会はどんな歩みをしてきたのか。

菊池紹子さん、充さん

碧南聖書教会は、隣の西尾市にあった教会の枝分かれとして生まれた。当時、地域ではスウェーデンアライアンスミッションの働きが多くあった。碧南市の開拓に取り掛かろうとした時、宣教師が急逝。本部では開拓を断念しようと決まったものの、宣教師のスピリットを消してはならないと、碧南聖書教会初代牧師の渡邉賢治氏が引き継ぎ、1978年、碧南聖書教会を立て上げた。最初の会堂はなんと、空き地へ引っ張ってきたバスだった。行き先には「碧南教会」と掲げ、運転席のところに作られた講壇からメッセージを語る。電気もなければ、ガスも水もない。日曜になると、どこからか人が集まり、平日は空き地にバスが置かれたまま。翌年、現在の場所に会堂が与えられるまでは、そんな不思議な形で礼拝を持った。

現在の教会の様子を尋ねると、充さんは次のように即答した。「一言で言えば、明るい。もちろん苦しい時もありましたが、今は非常に良い雰囲気の中で皆さん集っています」。出席者は対面での出席がほとんどで、オンラインと合わせて40人ほど。特に今年に入り、その数が増えてきたという。

教会が変わったきっかけは、「わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。」(エレミヤ29章7節)とのみことば。地域に根ざす教会として、どのように活動するのが御心か祈った時に、出会った箇所だ。みことばに促されるまま、地域のお店や業者の名前をあげて祈ることを信徒と始めた。「こんなふうに祈っていいんだ」と、信徒は次第に地域に生きる人々のためにいきいきと祈るようになったという。その祈りの交わりがきっかけとなり、続けてある信徒が提案したのが、オイコス計画(全国家庭文書伝道教会が日本の諸教会と協力して、日本の全家庭にトラクトを配布する計画)によるトラクト配布だった。

しかし・・・