なぜ信徒に弱さを見せられないか 寄稿 元執事・現牧師 橘内智徳 仕える人・支援者のケア 3人に聞く①

「牧師にとってのふさわしい助け手とは誰だろうか」と橘内智徳さん (保守バプテスト同盟・北信カルバリー教会副牧師)は言う。「仕える人・支援者のケア」をテーマにする特集「3人に聞く」(※)。今回は執事時代に、牧師の「燃え尽き」に直面した橘内さんが寄稿する。

※「仕える人・支援者のケア」:9月は防災月間。近年教会も災害支援活動に取り組むが、支援者側も疲弊する過酷な状況に気を付けたい。通常の牧会、奉仕の現場でも「燃え尽き」は起こりうる。コロナ禍でも経験されたが、今後予想される「人手不足」は、少数の働き手に負担をかけそうだ。「燃え尽き」にどう対処するか。経験者やカウンセラーなど、三人に聞く。

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 「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2・18)
 神はアダムにエバというふさわしい助け手を与えられたが、牧師にとってのふさわしい助け手とは誰だろうか。以前執事だった時は牧師の助け手となれるよう努めたつもりだったが、実際は牧師からの悩み・相談を受けることはなく、結果牧師は燃え尽きにまで至ってしまった。


 牧師となった今感じるのは、ふさわしい助け手を得るには牧師側も相手に近づく必要がある、つまり「弱さを見せること」(=信頼の証)が大切だという点だ。

(次ページで「なぜ弱さを見せることができないのか」「イエスの模範」など。約1150字)