
21世紀、アメリカ共和国。腐敗した支配階級によって荒廃した大都市ニューローマを都市計画局局長で天才建築家のカエサル・カティリナが、自ら発明した新建材メガロンを利用した新都市構想〝メガロポリス〟を提唱して再建をめざす。一方、新市長フランクリン・キケロは、ニューローマの財政難という直面している課題を現実的に解決しようとカジノ建設を計画しカエサルと真正面から対立する。
現代ニューヨークの象徴的な建物クライスラービルの尖塔(せんとう)に立ったカエサルがニューローマを見下ろすシークエンスは、古代バベルの塔建設をめざした人間の姿を想起させる。また、映画「ベンハー」を模した戦車レースに興じるニューローマ市民など、古代ローマの政治的陰謀と現代アメリカの社会構造を重ね合わせながら、人間の野心と堕落、そして可能な救済への道を探る野心的な試みの本作は、人間の罪深さと神なき世界での救済の可能性という根本的な神学的問いを、建築と都市計画という比喩を通して問いかけている。
古代と未来の融合という情景描写だけでなく、彼らの対立が単純な善悪の二項対立ではなく、両者とも完全に潔白でも完全に邪悪でもない複雑な描写がなされている。また、その対立の根底にある哲学的対話へと目を向けさせる。
カエサルがより良い世界を創造する必要性を情熱的に主張するのに対して、キケロが「すべてのユートピアはディストピアの可能性を内包している」と鋭く反論する場面は、この映画の核心に迫る瞬間でもある。また、カエサルの恋人でもあるキケロの娘ジュリアが、ストア派哲学者マルクス・アウレリウスの言葉を引用して父親の主張を補強する場面は、神の啓示なき世界での哲学的知恵の限界を示しているようにも見えて印象に残る。
コッポラ監督が、古代ローマの貴族ルキウス・セルギウス・カティリナが国家転覆を目論んだ『カティリナの陰謀』に関する本をきっかけに構想40年かけて誕生した一大叙事詩。その壮大なスケールと野心にもかかわらず、人間中心のユートピア構築の限界を示す本作は、意図せずして「神なき救済の不可能性」という重要な神学的真理を例証しているとも言えるだろう。古代ローマ帝国と現代アメリカの重ね合わせは、人間の本質的な罪深さが時代を超えて変わらないことを示している。 【遠山清一】
「メガロポリス」
監督・脚本:フランシス・フォード・コッポラ 2024年/138分/カラー/アメリカ/英語/映倫:PG12/原題:MEGALOPOLIS 配給:ハーク、松竹 6月20日[金]より全国公開中。
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