熊本・大分地震から10か月 「九キ災」熊本で、支え、寄り添い、励まし、つなげる

昨年の4月に発生した熊本・大分地震から10か月。報道が盛んだったころには県内に13あった避難所はすべて閉鎖されたものの、一方、仮設住宅は110団地、4千300戸を数え、損壊した自宅を離れて暮らす被災者は、昨年末の時点で4万1千人に上る。特に被害の甚大だった益城町には、18団地に約千500世帯が暮らしている。地震発生直後、福岡牧師会の呼びかけをきっかけに発足した「九州キリスト災害ネットワーク」(九キ災、横田法路代表)は、熊本支援の拠点である「熊本支援ベース」(中村陽志ディレクター)を熊本市内から昨年11月に益城町に移し、今も継続的な支援を続けている。【髙橋昌彦】20170212辭頑悽繝舌Φ繝・DSC08966

熊本市内から東に30分ほど車を走らせると、益城町に入る。市内では見られなかった損壊した建物が目に付くようになる。解体撤去は4割進んだ。つまり、いまだ6割は手付かずで残っているということだ。幹線道路を曲がって住宅地に入ると、傾いたままの家、崩れた石垣、ブルーシートの掛けられた屋根、ひしゃげた道路ミラーなど、地震の被害を今なおとどめた光景が目に付く。熊本に来て複数の人から「益城に行くと、昨日地震があったのか、というような気がしてしまう」という意味の言葉を聞いたが、確かに感覚的にはそんな気になってもおかしくはないかもしれない。
九キ災のベースに着くと出迎えてくれたのは、ディレクターの中村さんとスタッフの山中弓子さん。現在熊本支援ベースには、10人のスタッフがおり、うち7人は有給で常時活動をしている。今の九キ災の働きは、大きく分けて、ボランティアワークと仮設住宅の自治会運営サポートだという。

今こそボランティア
が必要

「みんなもう、家の片づけをするようなボランティアは不要だと思っているのでしょう」。しかし、ボランティアはまだまだ必要なのだと中村さんは言う。倒壊した建物を解体撤去するためには、まず中の家財を出さなければならない。ゴミとして捨てるにはその分別も必要。仮設住宅に入るにも、仮設住宅から出るにも引越しをしなければならない。「先日も、バス停でうちを見つけて飛び込んできた方がいらしたんです」と、山中さん。一般的にボランティアの要請は社会福祉協議会(社協)に行く。社協に紹介された支援団体に連絡したところ、そこはもう活動をしておらず、体の不自由なその方はどうしたらいいか途方に暮れていたのだという。
一時期は行政でもボランティアが集まりすぎて回せる仕事がなく、そのまま帰ってもらうようなこともあったが、次第にその数は減り、昨年の秋ごろからは他の多くの支援団体が活動を撤収するのにあいまって、ボランティアの数も大きく減ってきた。現在はボランティアが確保できなければ、スタッフ自らが、他の業務の合間に、ボランティアワークに出かけている。「毎日5人でもボランティアが来てくれれば、スタッフはそのマネージメントと仮設住宅のサポートに集中できるんですが」。
そこで今呼びかけているのが「ちょこボラ」。1日中みっちり働くのではなく、午前だけ、午後だけなど、少しの空き時間を使って「ちょこっとボランティア」をしてもらう。「先日も仮設でお茶会をするのに、教会の人にその準備と片付けだけをやってもらいました」。そんなふうに、教会が仮設住宅にボランティアで入る手伝いが出来るだろう、と中村さんは考えている。20170212辭頑悽繝舌Φ繝・DSC08944

コミュニティー作り
を支援

九キ災では現在、社協から依頼されて4つの仮設住宅の自治会運営をサポートしている。具体的にはコミュニティー作り。入居者から自治会長は選ばれるが、多くの場合高齢で、どう自治会を運営していいのか戸惑いがある。その働きに寄り添う支援である。健康管理のためにも引きこもらないように、失業がきっかけで依存症になる人や高齢者の一人住まいなど、そこを戸別訪問する。住民どうしが互いに知り合えるために、今まで2つのプロジェクトを行った。
暮れには「クリスマスケーキ・プロジェクト」(クリスチャン新聞12月18・25日号で一部既報)。戸別訪問して注文を取ったケーキに、手書きのカードをひとつずつ付けた。これは保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会副牧師の佐藤将司さんから提供されたもの。そのカードには「私も福島で避難所生活をしました」と書かれてあり、そのカードをあらかじめ熊本市内の教会に送り、1枚ずつ励ましのメッセージを書いてもらった。これで、福島と熊本市内と益城がつながった。ケーキをを配るだけでなく、事前に集会場のクリスマスツリーをみんなで飾り付けをしてもらい、夜は仮設住宅の集会所に集まって、一緒にキャロリングをした。20170212辭頑悽繝舌Φ繝・DSC08945
年が明けてからは「新年温泉ツアー・プロジェクト」。4か所の仮設住宅ごとにバスをチャーターしての日帰り旅行。10歳から95歳が参加した。現地集合は認めず、行きもバスで時間を共有し、一緒に温泉に入り、同じ食事をし、帰りも同じバスで。YMCAの老人ケア科の学生が、楽しいゲームでバスの中から盛り上げてくれた。
現在は「ファミリンクプロジェクト」に取り組んでいる。これは、被災した家族(ファミリー)と支援する家族を一対一で直接つなげ、リンクすることによって、支援家族からの「私たちは忘れていませんよ」というメッセージを被災家族に届けようというもの。ゴスペルシンガーのMigiwaさんがネーミングし、テーマソングも作ってくれた。「東日本大震災の時と同じように、熊本の被災者も『私たちは忘れられているのではないか』という不安を持っているのです。でも、いつも覚えて支えてくれている人がいる、ということがお互いに顔の見える形でわかれば、孤独感が埋まるのではないでしょうか」。具体的には、お互いに写真やプロフィールを交換し、交流を深める。支援家族は被災家族の家族構成にあったプレゼントを毎月1回シューズボックスに入れて相手に送る、交流会を企画し招待する。「たくさんやるつもりはありません。個人情報を出すことを嫌がる人もいるでしょうし、了承してくれる人だけです。こういう人たちがいれば、何かイベントがある時も声をかけやすいですから」

「段階的な喪失」

中村さん自身も、地震発生当時町全体を覆っていた特殊な雰囲気を今も思い出してこう話す。「ライフライン寸断、交通機関ストップ、店は開いていても品物がない。自分は支援のために走り回っていて家にいない。一か月くらいした時に妻が泣き出しました。『普通の生活がしたい』と言って。責められているような先が見えないような思いで、二人で泣いて祈りました。『今は神様から託されていることをやるしかないよ』みたいなことを言って玄関を開けたら、家の前の道路が端から端まで700メートル以上廃棄物のゴミの山で、道路の3分の1をふさいでいました。まだ普通じゃない、と思いました」。この地震で死者が少なかったのは幸いだが、家の倒壊など、人々が感じている痛みは想像する以上だろう、と中村さんは考えている。20170212辭頑悽繝舌Φ繝・DSC08978
福島第一聖書バプテスト教会牧師の佐藤彰さんは、津波にあった地域の一気に失くなった喪失に対して、「福島は曖昧な喪失だ」と言ったという。土地も家も家財も目の前にあるのにそこに帰れない。「熊本は段階的な喪失だ」と中村さんはいう。家族は無事、家は半壊程度、土地はあるから何とかなる。考えても仕方がないから仮設に入る。そして段階的に地震のダメージが来る。しばらくしてから家に戻って家財を取り出そうとしたらカビだらけになっていたり、地震の時には助け合っていた家族が、少し落ち着くと以前のわだかまりがよみがえって疎遠になったり。山中さんも「仮設に入っている人でも、がれきが撤去されて土地が更地になったらさっぱりして前向きになれるかと思っていたが、やっぱり辛かった、と言いますね。場所によっては地盤改良をしないと建てられないところもありますし。前に進んだかと思ったら、また引き戻されるような感じでしょうか」と語る。

震災を糧に

今回の地震を契機に九キ災が発足し、熊本の震災を九州全体で引き受けてくれた。被災状況だけを考えれば、被害の少なかった市内の教会が被災教会を支援するということは可能だったかもしれない。だが熊本だけだったなら、ここまで活動は継続しなかっただろうし、これだけの広がりにはならなかった、と中村さんは考える。「お金、広報、他団体とのつなぎはすべて福岡の本部がやってくれました。あれだけの額の献金を扱うのは大変だし、領収書の発行だけでも、ものすごい事務量です」。今、宮崎、長崎、大分にも災害支援のネットワークができつつある。九州全体が災害支援でつながることができたのは、今回の大きな収穫だと思う。「熊本での支援活動はいずれ終わります。でも九キ災の働きは終わりません。その枠組みは残るし、それは将来に備えて大きなことです。何より、みんなで考えて協力できる体制ができた。その結果キリスト教の団体が行政から委託されるようにまでなったのですから」
熊本では今年に入り「熊本県宣教ネットワーク」が立ち上げられた。震災を機に祈祷会が始められ、月に1回集まって祈っていたが、支援の働きを宣教につなげるため、その祈祷会をネットワークに移行した。祈り会の継続とともに、イースターに合同のコンサート、5月にレーナマリアを迎えてのコンサートを予定している。震災は思いがけない出来事だったが、それが思いもよらなかった実を結びつつある。