横浜YMCA「シンポジウム熊本地震から学ぶ」 “災害弱者に届く連携を”

熊本地震発生直後から支援を開始し、神奈川ボラジェットと協力して多くのボランティアを派遣してきた横浜YMCA(田口努総主事)は、2016年11月17日横浜市中区の同所で「シンポジウム熊本地震から学ぶ」を開催した。
発表者は、山根一毅(日本YMCA同盟協力部門国際担当主任主事)、安部美和(熊本大学地域創生推進機構地域創生推進室特任教授)、木村敬(総務省自治財政局公営企業課理事官)の3氏。田口氏は今回のシンポジウムに関し、「災害時には、障害者、高齢者、外国人など、災害弱者と呼ばれる人たちへの対応が必要になる。将来の災害に備えて学び、今後に生かしたい」とその趣旨を説明。3人の発表者は、事業者、研究者、行政の立場から、その対応を語った。
【髙橋昌彦】
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山根氏は、前震があった翌日の4月15日には現地に入り、熊本YMCAが指定管理者となっている益城町総合体育館での避難所運営に当たった。避難所各所に様々なニーズが点在する中、受付前に立ち、少しずつニーズを把握していった。本震翌日の17日には、町役場担当や医療関係者を集めて、毎日3回のミーティングをスタートし、個々の被災者の状況を共有して支援にあたった。「この時大事なのはフラットな関係」。避難者各自がそれぞれ力を出して、人々の日常に近い状況をできるだけ早く取り戻すようにした。介護や医療等、専門的な必要のある人には、外部の専門家の援助を仰いだ。行政の支援は縦割りで平等性を求めるが、民間の援助は個別のニーズにできるだけ応えようとする。時に対峙し、
折衝が生じるが、理想に向かう気持ちが必要だと考えている。8人の外国人避難者からは対応を感謝されたが、「最初から大規模な避難所を避ける人もいただろうし、本当に寄り添うべき人に出会えていたか、反省すべき点もある」と語った。
安部氏は、学生とともに熊本大学黒髪体育館での避難所運営にあたった。最初から避難所閉鎖を見据え、自主運営に向けた戦略として、「居心地のよすぎる空間」にしない、「声かけ」の徹底、「追い出す」のではなく「自分で決める」、を掲げ、4月16日の避難所開始後、30日には閉鎖した。避難者数は最大で905人のうち185人が外国人。最初から外国人対応のブースを設けた。具体的な対応として、すべての情報は2か国語(日英)で出す、インフラの回復情報を発信、各国大使館の動きを情報収集し発信、困りごとをスタッフに上げてもらえる関係づくり、ムスリムの人のためのハラルフードの対応、を行い、言葉の壁に起因する不安の払拭に努めた。次第に留学生による自国文化のプログラムが行われたり、パキスタン人の支援者によるカレー配給なども起きた。「災害時の対応として『自助』『共助』ということが言われ、普段から横のつながりが大事とされるが、学生は以前から地域の人と知り合いだったわけではない。後からでもスタートできる。また、ここで経験したことはいつか別の場所でも活かせるはず。そのような形の『共助』もありうる」と語った。
木村氏は地震遭遇時、熊本県総務部長。地震の被害の概要と行政の対応を中心に語った。今回の地震の特徴の第1は、ライフライン寸断型の災害だったこと。津波も起こらず、火災の発生も数件だった。家の崩壊よりも、ライフラインの遮断により最大避難者数は県民の1割を超える18万人に及んだ。知事からの消防や自衛隊への出動要請は円滑に進み、被災者の人命救助は的確に行われたが、避難者支援に課題を残し、避難所運営のノウハウ蓄積や現場を任せられる地域コミュニティーの存在が見直された。第2に国・県・市町村の連携と対立。益城町では行政機能が崩壊した。YMCAが避難所を運営していなければ、混乱は広がった。現場の情報を集めるには、国と県の人事交流が機能した。第3に問題に なったのは、職員の役割や報道のあり方。有能な職員ほど目の前の問題解決に向けて奔走し、さらに現場の仕事を抱える。職員をいかに全体を見渡し、先の方向に向けて働かせるか。マスコミ対応もノウハウが欠如していた。木村氏は「防災は過去の例から学ぶしかない」と語った。