「もっと話聞かせて」と踏み込んで 崔善愛さん 東京集会で

崔さん

「侵略戦争が遺したもの・戦後80年を迎えて」と題して、8・15東京集会(同実行委主催)が、8月15日に東京・新宿区、日本基督教団四谷新生教会で開かれた。講師は崔善愛(チェ・ソンエ)さん(ピアニスト)。

鏡のように私たち自身の姿が分かる

同集会準備委員の星出卓也さん(長老教会・西武柳沢教会牧師)は、冒頭のあいさつで、「戦後80年を、80年だけでとらえてはいけない、その前の段階、植民地支配の歴史があったことをちゃんととらえ、連続した歴史の中でとらえたい。戦後も果たして本当に『戦後』だったか。日本に空襲は起きなかったが、安保条約によって、アメリカの戦争に無条件で協力してきた。私は66年生まれで、高度経済成長の繁栄を享受してきたが、実は、他の国を戦争に巻き込んだ上での繁栄だった。本日はマイノリティーの視点で、マジョリティーの視点からみえないこと、犠牲を強いているところをお聞きしたい。そのことで鏡のように私たち自身の姿が分かる」と述べた。

「侵略」と「強制」

善愛さんの父、崔昌華(チォエ チャンホア)さんは、在日大韓基督教会の牧師であり、在日韓国人の権利運動に奔走した。善愛さんは、日本生まれ、日本育ちだが、大学生時代、指紋押捺に抵抗し、留学後に、特別永住資格などが失われた。最高裁まで争ったが敗訴。2000年、指紋押捺制度廃止にともない、特別永住資格が戻るまで戦いが続いた。

冒頭、崔さんは、ショパンの「幻想即興曲 嬰ハ短調」を情感込めて演奏した。

「幻想と言うが、ショパンは夢見心地で作曲したのではない。祖国が侵略される中、ドナウ川に叫びたいという思いを日記に残していた」と話す。

戦後80年の報道について、「『戦時中日本がどれほど被害を受けたか』という声が多く、『他者』の存在が欠落していると感じた。日本の戦争はすなわち『侵略戦争であった』ということが見えてこない報道ばかりだった。これは歴史修正にもつながってゆく。そして『在日韓国・朝鮮人』という存在そのものが、侵略が残したもの」と述べた。

編集委員を務める雑誌「週刊金曜日」2024年11月22日号で、山口県宇部市の旧長生炭鉱で朝鮮人労働者らが犠牲になった水没事故を特集したことを振り返り、「強制連行」という言葉に注目。「子どものころから、日常的に聞いてきた言葉だ。日本では『日韓併合』というが、韓国では『強制併合』。併合そのものが強制的、武力によるものだった。その時点から韓国と日本の歴史認識は違う」と語った。

(次ページでは「選挙は苦痛でしかない」、「告白」が相手に伝わっているか、など。約1300字)