朝ドラで注目 近代看護のはじまり その使命感に信仰が 『和と旅する。』に見る大関和の歩み

看護婦養成所時代の和(知命堂病院提供)

 2026年春NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「風、薫る」の主人公のモデルは、「看護婦」大関和(おおぜき・ちか)だ。「いやしい仕事」という偏見を打ち破り、近代日本で看護師の地位確立に貢献した。その活動の源は、キリスト教信仰による使命感だった。その人生と信仰の側面をビジュアルに描いた『和と旅する。日本の近代看護の先駆者』(いのちのことば社を頼りに、和の出発点、いかに「看護婦」になったかを見ていこう。

「いかに落ちぶれたとは言え、看護婦などとは情けない」。看護婦への誘いを受けた和が最初に抱いた思いだった。


 当時、看護婦で、正規の教育を受けた者はなく、医師の下働きや病人の召使いのように見られていた。また、「金銭のために危険で汚い仕事をする女たち」という偏見があった。当時和は28歳、武家の家老の娘という自負もあった。


 幕末の1858年、現在の栃木県大田原市にあった黒羽藩の家老の娘として生まれた。維新後の18歳頃、同郷の元藩士と結婚するが、破綻。子どもを連れて家を出て、東京で暮らした。知人を通じて英語を学び、植村正久牧師と出会った。


 当時、キリスト教関係者によって近代的な看護学校が次々と設立されていた。その一つが、後に女子学院となる桜井女学校に作られた看護婦養成所だった。そんな中、植村は和を看護の道に誘った。植村は「病人を真心をもて親切に看護し、天父(てんぷ)の慈愛を顕(あらわ)すは之(これ)に勝る伝道なし」と勧めたと和は回想する。


 同養成所設立には、マリア・ツルー宣教師の悲願があった・・・

(次ページで、宣教師の思い、和たちの行動、和ゆかりの女子学院 鵜﨑創 学院長のコメントなど)