「おまえの名は何か」　連載　私の牧会ストーリー⑤　松本雅弘

先日、踏切を渡り始めた途端に警報がなり、渡り切る頃には遮断機が下り始めていました。すると突然、警察官が現れて車を止められ、交通違反で罰金を支払うことになりました。警官から「職業は何ですか？」と尋ねられた瞬間、とっさに答えることができませんでした。牧師であることを隠したかったわけではありません。ただ、どう答えてよいのか分からなくなってしまったのです。 前回 https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/article-bs3ya4txmd2qsjk0/ このクリスチャン新聞にも私の名前の前に「クリスチャン・ライフ成長研究会（CLSK）主事」「カンバーランド長老教会あさひ教会協力牧師」と二行にわたって現在の務めが記されています。実際、あさひ教会で月一回礼拝説教をし、CLSK主事としてリトリートやオンラインクラスを担当し、事務的な働きも担っています。加えて神学校などでも奉仕しています。 〈さて、何て答えたらいいのだろう…〉と答えあぐねている私を見かねて、助手席の妻が・・・ (次ページで、名前についての黙想、ペルソナの危機、など) 「お父さん、牧師でしょ！」と助け舟を出してくれました。ハッとして我に返り、「私は、牧師です。その先の角にある教会で、昨年まで37年間、牧師をしていました」と、つい余計なことまで口走ってしまいました。 この出来事を通して、ふとマルコ福音書５章にある「ゲラサの悪魔憑（つ）きの物語」が心に浮かびました。神はこの箇所を通して、幾度となく私の心に語りかけてくださったことを思い起こしたのです。 § § 家族にも社会にも、そして異邦人の救いに関しても無関心と考えられていた「ユダヤ人の神」にも見放された彼に、主イエスだけは目を留め、声をかけられました。その問いかけが「おまえの名は何か」でした。 Ｐ・トルニエは著書『なまえと命』の中で、聖書における「名」はその人の本質と深く関わると述べています。主イエスのこの問いかけは、「あなたは誰なのか」という存在への問いでもあったのではないでしょうか。彼は「私の名はレギオンです。大勢ですから」と答えます。つまり自分の本当の名が分からなくなっていた。混乱が彼の心を支配していたのです。この答えは私の心にも深く響きます。 この箇所を読むたびに思い出すのが、春日耕夫氏の『「よい子」という病』です。娘の不登校に悩んでいた頃、書店で出会った一冊でした。著者はこう語ります。「子どもが大人の願い通りになれば愛され、そうでなければ失望される。 その結果、子どもは〝よい子〟を演じることを強いられ、ありのままの自分でいることができなくなる」。〈自分をさらけ出したら嫌われ拒絶されるのではないか〉といった恐れが心を支配し、本当の自分で居ることができない。周囲の期待に応えるために、押し付けられた「名」を演じる。それが「よい子」という病です。ある意味、ゲラサの男も、こうした病に冒されていたのではないかと想像してしまいます。 彼は怪力の持ち主でした。若い頃から村の将来を担う者と期待されていたかもしれません。最初はその期待に応えようと懸命だった。しかし、次第に重荷となり、遂には壊れてしまう。すると賜物であるはずの力を使って自らを打ち叩く。出血するまで自傷行為を繰り返すことで自分の存在を確認しようとする。それが彼の精一杯だったかもしれません。 こうした危機は、牧師にも起こり得ると警鐘を鳴らすのがＷ・ウィリモンです。彼は著書『牧師－神学と実践』の中で、牧師が辞職する理由を13挙げますが、その四つ目に「多くの役割に圧倒される牧師」を挙げています。 牧師はユングの言う「ペルソナ」のもとで多くの時間を過ごす存在であり、それが牧師を苦しめる原因となると語ります。同書の目次を見ただけでも、牧師に求められる役割の多さが分かります。「おまえの名は何か」と問われたら、「私の名はレギオン」と答えざるを得ないのです。 牧師は他者との関係の中で精神的マスクを長時間まとい続けなければなりません。それは職務上必要な顔であり、決して偽りではありません。ただ、マスクを外す機会がないと、真の自己との分離が生じ、心が疲弊します。しかもペルソナが明るければ明るいほど、その影は暗い。 牧師が常に「牧師」であろうとする時、内なる自己との接点を失い、偽りめいた印象を与えてしまうこともある。役割に磨きをかける努力が、結果として自己との乖離（かいり）を生むのです。 この世界は、私のしていること、人々が私について言っていること、私が持っているものを見て私が誰であるかを判断します。でも、私の本当の名をご存じのお方は造り主なる神のみです。 私は誰なのでしょう？私は牧師以前に、神の愛する娘であり息子なのです。そのことを気づかせるために、時に主イエスは、「おまえの名は何か」と問うてくださる。あの日の警官の問いかけは、そのことを気づかされてくれたように思います。

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