ブラジル日系人伝道の歴史と展望 別刷◎シリーズ カラー世界宣教地図◎中南米

佐藤浩之=ブラジル在住 引退宣教師

◎シリーズ カラー世界宣教地図◎中南米(ラテンアメリカ)日本語教会、日本語集会ガイドマップ(7月5日別刷付録)に記事全文を掲載

南米ブラジル植民者笠戸丸にて出発の光景(国立国会図書館ウェブサイト「ブラジル移民の100年」より)
移住地信徒の要請で日本人伝道者ら派遣
今、日系人宣教師が日本・アジア各地へ

 外務省の統計では、2026年現在のブラジルに居住する日系人総数は約270万人である。これは米国の日系人150万人を超えて、世界一位である。1908年に始まったブラジル移民は戦前が約19万人、戦後が約7万人で、合計26万人であった。そこから100年後に日系人は10倍に増加した。現存する日本人一世は1万人以下で、ほとんどが高齢者である。日系二世たちは政界、経済界、工業界、福祉、文化・体育部門で大活躍している。日系人の居住地の地域分布はサンパウロ州に80%、パラナ州に10%、その他にマットグロッソ州、アマゾナス州、パラー州、バイヤ州などブラジル全域に広がっている。

日系人宣教の歴史―徒歩で、馬で

 第一回日本移民781人を乗せた笠戸丸が、1908年6月にサントス港に到着した時に移民の歴史が始まった。当時のブラジル社会はコーヒー景気だったので、日本移民たちは奥地のコーヒー農園で働いた。20年頃の移民の中には少数のクリスチャンたちがいて、日本に牧師の派遣を要請していた。それに応える形で、23年に聖公会の伊藤八十二牧師が、日本人最初の伝道者として派遣されて来た。続いて、25年にホーリネス教団の物部赳夫牧師。35年に自由メソジスト教団の西住正義牧師。さらに日本基督教団の青木朋一牧師、救世軍の田中三次牧師などが、次々にブラジルに派遣されて来た。

1930年代の珈琲採取風景(国立国会図書館ウェブサイト「ブラジル移民の100年」より)

 初期の伝道は都市ではなく奥地の日本人移住地が中心だった。幸いなことに当時はコーヒー運搬の鉄道がサンパウロから奥地のコーヒー産地まで敷設されていた。牧師たちは汽車に乗って奥地に向かい、最寄りの駅からは徒歩か馬に乗って移住地に入り、日本人信徒の家々を巡回しては家庭集会を行っていた。

 やがて各移住地に救われる人々が起こされ、農村の教会が生まれ、献身者が起こされてきた・・・

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