「個人の尊重」というけれど…
「個」のみ語ると温存されている性差別を隠蔽し、加担する
憲法も聖書も、性別にかかわりなく、究極的には「個」として立つことを主張しているのだと思う。その意味で、性別によって権利のあり方や信仰のあり方が規定されるということはないのだと思う。
ただ、歴史的存在としての私たちの前には、厳然とした「家父長制」や「男性中心主義」的に構成されてきた制度があり、現状の制度の中で性別を無視して「個であること」のみを語ることには注意しなければならないとも思う。結局、それは、現状の制度に温存されている性差別を隠蔽し、加担することにつながってしまうから。
いや、ようやくそのように考えられるようになったと言うほうが正確だろう。わたし自身、男性中心主義社会の女性蔑視の中で、男性中心主義的な価値観を内面化し、「名誉男性」になることで、なんとか生き延びようとしてきたのだと思う。それは自分の研究領域においても、「女性の人権」というのは論理矛盾で(人は「普遍的」なので、性別や人種といった属性による区別は存在しないと考えるから)、「ひとつの人権」しか存在しないと考えてきた。しかし、女子大学で教育に携わる中で、そしてまた、たくさんの方々と出会うことで、遅まきながらも、「ひとつの人権」のみを語ることの欺瞞(ぎまん)性に意識的であるべきだと考えるようになった。
「一人の人間」、「一人の個人」として尊重されること、その点で「男も女もない」と切り捨ててしまうことは、わたしたちが生きるこの社会で、さまざまな制度に温存されている不平等をあいまいにし、悪くするとなかったこと、ないことにされてしまいはしないだろうか。制度的に、構造的に、格差が作られているのに、「個であること」を前提として議論することで、「わたしは一人の個人」として、あとは「わたし(=女性)」の個人的努力に丸投げしてしまうのだ。それはジェンダー差別を女性の個人の問題にすり替えることでもある。つまり、「女であること」によって生きづらくされているが、それを社会の問題として声をあげることを断念させ、もっぱら「わたし個人の問題だ」、「わたしの努力が足りないからだ」と思いこまされるのだ。
「ジェンダー平等後進国」以前 に「人権後進国」
「世界経済フォーラム」の「ジェンダーギャップ指数」で、今年も日本の順位が低いことが話題になっている。森喜朗元首相がオリンピック組織委員会の会長辞任に追い込まれた経緯で露呈したように、「世界経済フォーラム」に指摘していただかなくても、この国に生きる女性にとってはなんら驚くべきことではないだろう。
憲法に引きよせて言えば、ジェンダー不平等によって、女性が(そして男性も)自分らしく生きることができない、不平等な国である以前に、日本は人権後進国であるということにも気付くべきではないかと思う。日本はジェンダー平等後進国というだけでなく、そもそも人権後進国なのである。女性も、マイノリティーも、もう十分に権利を主張してきたじゃないか、ほどほどに「わきまえろ」という多数派の言い分がまかり通る。だから女性に限らず、権利主張をすることそれ自体を忌避する心性が根深く浸透してしまっているし、「わきまえる」ことを要求されて、自分の思ったことを言うことができないのは女性に限ったことではない。
憲法の神髄は「すべての人の 個人の尊重」
そんな日本社会ではあるけれども、そして、ますます憲法違反が横行し、もはや正式に改正の手続きを経ることなく「改憲」のごとき内実が進展してしまっているともいえるけれども、それでも、明文改憲されていない日本国憲法が存在する。そして、この憲法の神髄は「すべての人が個人として尊重される」ということにある。言い換えれば、「すべての人が、その人らしく尊重されて生きることができる」ということだ。現状ではそんなことになっていないけれど。
これまでの二十数年の間に新自由主義的な「改革」が進み、「今だけ、金だけ、自分だけ」といった政策が幅を利かせてきたことが、「COVID-19」パンデミックで可視化されるようになった。例えば、「医療崩壊」というけれど、それまで地域医療を支えてきた保健所を着実に縮小してきたのは新自由主義政策によるものだ。それは端的に言って、いのちを切り捨てても儲けようということだ。そのような動きの中で、「多様なわたしたちが、ともに生きていこう」、という憲法的な価値というのは、わたしたちの社会でやせ細ってきてしまった。
しかし、憲法というのは、そしておそらく聖書の示す人間らしい生き方というのも、「未完のプロジェクト(構想)」なのだ。わたしたちは、いつだって、憲法に、そして聖書に立ち返ることができる。真に人間らしく生きることができるような制度―その土台を作りだそうとしているのが憲法なはずだ―を求め、すべてのひとが「わたしらしく」生きていくことができるように。
斉藤小百合著 『打ち捨てられた者の「憲法」』
いのちのことば社 990円円税込

