情報と上手に付き合い、平和を祈る力に
碓井 真史(新潟青陵大学大学院教授/心理学者)
新聞の一面トップは、今日も戦争の話題だ。堅い報道番組から軟らかいワイドショーまで、朝も昼も夜も、おびただしい量の戦争報道が続いている。大報道の中で、心が鉛のように重苦しくなっている人も多いだろう。

子どもたちの中には、怯(おび)えている子もいる。子どもは、時間や距離の感覚が大人とは違う。戦争がすぐそばで起きているように感じている子もいる。怖がっている子がいれば、話を聞き、その不安や恐怖を否定はせず、抱きしめてあげよう。「怖いよね。でもここは大丈夫だよ」と安心させ、年齢に応じた説明をしよう。学ぶことが心を落ち着かせる時もある。地理や歴史を学ぶことも良いだろう。それは将来の平和にもつながる。そして、みんなが平和のために祈っている、平和のためにがんばっている人がたくさんいると伝えよう。
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大人たちは、人生の中で様々な体験をしてきた。つらい体験をしている人ほど、悲しいニュースが心に響く。苦しむ人と自分を過剰に「同一視」して、我が事のように心が締めつけられる人もいる。優しく繊細な人ほど、苦しむ人に共感し、行き過ぎれば「共感疲労」となる。抑うつ、食欲不振、不眠など、体調を崩すこともある。またどんなにつらくても、戦争報道を見ないことに罪悪感を持つ人もいる。中には、インターネットで次々と悲惨で暗い情報ばかり探し続ける「ドゥームスクローリング」状態に陥る人もいる。
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報道は必要だ。事実を知ることで、祈ることができる。不正と闘うことも、寄付をすることもできる。しかし近年の研究によれば、戦争報道など悲惨な報道は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に近い心身の不調をもたらすこともあるという。
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報道は何のためにあるのか。事実を知らせ、読者視聴者に感じさせ、考えさせ、行動させることが目的だ。犯罪報道は防犯に、事故報道は事故防止に、戦争報道は平和のために、何らかの形で役に立つ必要がある。ところが、心が疲れ果てれば、思考力も行動力も弱ってしまう。これでは報道を見る意味がない。
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上手に報道と付き合おう。大量の報道の繰り返し視聴が、心を痛めることもある。正しく考え行動するために、テレビを消すことが必要な時もある。映像、動画の無いラジオや新聞が良い時も多い。情報の集めすぎは、逆効果だ。また悲惨な情報の不意打ちは心に刺さる。ながら視聴ではなく、心して報道に向き合おう。そして心に橋をかけよう。必要に応じて戦争報道に触れ、必要に応じて一時的に報道から離れよう。橋を渡って、行き来するように。
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多くの人が苦しんでいるのに、娯楽や食事を楽しむことに罪の意識を感じる人もいる。しかし、許され与えられている恵みは受け止めよう。そして力を得て平和を作り出そう。真実の祈りは行動を伴う。真実の行動は祈りを伴う。政府には政府の、市民には市民の役割がある。デモ参加や寄付だけでなく、学校に学びにいく子どもの弁当作りも、日々の会社勤めも大切だ。そうして私たちも、平和のために祈り行動する一人となっていこう。


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